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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)9953号 判決 1999年10月18日

原告

石富信子

右訴訟代理人弁護士

岩永惠子

高瀬久美子

徳井義幸

浦功

被告

全日本空輸株式会社

右代表者代表取締役

普勝清治

右訴訟代理人弁護士

井上克樹

込田昌代

主文

一  原告の訴えのうち、本判決確定後に支払期日の到来する賃金の支払を求める部分を却下する。

二  原告が被告に対し雇用契約上の地位を有することを確認する。

三  被告は、原告に対し、平成八年三月以降本判決確定に至るまで、毎月二五日限り四七万五一〇九円及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告は、原告に対し、五五万円及びこれに対する平成八年一〇月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

五  原告のその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告が、被告に対し雇用契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、平成八年三月以降毎月二五日限り別紙請求金目録(1)記載の金員及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員並びに同目録(2)記載の金員及びこれに対する平成八年七月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  被告は、原告に対し、一一〇〇万円及びこれに対する平成八年一〇月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  原告は、被告のスチュワーデスとして勤務していたが、労災事故によって約三年三か月休業した後に復職した。本件は、原告が労災事故の症状が固定した以後被告から退職を強要され、さらに、理由なく解雇されたとして、被告に対し従業員としての地位確認及び右解雇以降将来にわたる賃金の支払を求め、かつ被告による解雇及び退職強要が原告の人格権を侵害する不法行為に該当するとして、これに基づく損害賠償を求める事案である。

二  前提事実(争いのない事実)

1  当事者

(一) 被告

被告全日本空輸株式会社(以下「被告会社」という。)は、東京都千代田区霞が関三丁目二番五号を本店所在地とし、航空運送事業を主たる目的とする株式会社である。

(二) 原告

原告は、昭和四八年一二月四日に被告会社に雇用され、昭和四八年一二月に大阪空港支店客室部客室乗務員(CAともいう。)として大阪に配属を受け、新入フライト訓練の後、国内線のスチュワーデス(現、キャビンアテンダント)として乗務を開始し、その後、ボーイング七二七、同七三七、YS一一、トライスター、ボーイング七四七、同七六七の各資格を取得して乗務してきた。昭和五〇年一月二九日にファースト・スチュワーデスの資格を取得し、昭和五九年には人事部発令のシニアキャビンアテンダント三級を取得し、ベテラン客室乗務員として稼働していた。

2  原告の労働災害の受傷から解雇に至る経緯

平成三年四月一八日、原告は、乗務のために乗車した被告会社手配の送迎のタクシーで交通事故に遭遇し、労働災害として平成五年一〇月一八日まで業務上災害による休業を、同月一九日から同年一二月三一日まで有給休暇による休業を、平成六年一月一日から同年一二月三一日まで労使協定による病気欠勤を取得し、平成七年一月一日から休職に入っていた。そして同年四月二八日に原告の主治医から、同年六月一日から就業可能との診断がでたものの、被告会社の社医の許可が出ず引き続き休職を続けることとなった。

同年六月一二日、原告は、被告会社より復職についての電話連絡を受け、そして被告会社の指示により社医の診断を受けた後、同月二九日に、同年七月六日付けで復職させる旨の内示を受け、同日復職した。

原告は、被告会社の命により、平成七年七月六日及び七日の両日、東京で、復帰者訓練を受けたが、不合格と判定された。原告は、同年八月一日及び二日の両日、二回目の復帰者訓練を受けたが、同様に不合格と判定され、さらに、同年一〇月一九日及び二〇日の両日の三回目の復帰者訓練も、やはり不合格と判定された。

被告会社は、平成八年一月二四日、原告に対し、「労働能力の著しい低下」「やむを得ない業務上の都合」「その他前各号に準じる程度のやむを得ない理由」を理由として、原告を同年二月二九日付けで解雇する旨の意思表示を行った(以下「本件解雇」という。)。

3  被告会社においては、休職者が、復帰する際には、復帰者訓練を受けることとされている。この復帰者訓練は、休職期間によってその内容に違いがあるが、原告が受けた復帰者訓練は、定期緊急総合訓練(エマージェンシー訓練、以下「エマ訓」という。)及びドアトレーナー訓練(ドア及び翼上非常口の実習)である。

エマ訓は、航空機に乗務する客室乗務員に、毎年一回訓練を義務づけられたもので、航空機に発生する緊急事態を想定して、それらの緊急事態に対応できるように行う訓練である。エマ訓は、年に一回、客室乗務員の入社月に合わせて、被告会社から訓練日の二か月程前にスケジュールが掲示される。客室乗務員の翌月の乗務予定は、前月二七日ないし二八日に発表されるので各客室乗務員は、定期緊急総合訓練の日程を確認し受訓する。勤務年数の長いベテラン客室乗務員も、新しい客室乗務員も受訓し、その訓練は、同年度(四月から翌年三月まで)は同じ内容で実施される。訓練の場所は、東京都大田区に設置された全日空訓練センターである。

エマ訓の内容は、右訓練所内の教室でのオリエー(ママ)テーションのあと、救急看護訓練と「モックアップ」といわれる航空機の機内の客室に一部を再現した部屋の中での緊急事態の想定訓練(シミュレーション訓練)が行われ、また最後には教室で理解度チェックを行うというものである。エマ訓では教官二名が受訓者二〇名前後の客室乗務員の訓練を担当する。具体的には救急看護訓練は、教官が実習内容(例えば心肺蘇生法)について説明、実習し、その後各グループに分かれた受訓者が教官の説明に従って人形に対し心肺蘇生法を実施するというものである。シミュレーション訓練は、航空乗務員(パイロット等)と合同のものと、客室乗務員だけのものとがある。いずれも受訓者は客室乗務員役、主客室乗務員役、旅客役に分かれ、教官の指示した場面設定に応じて主客室乗務員役の受訓者が客室乗務員役の受訓者と役割を分担して旅客役の受訓者に対する必要な避難誘導や爆発物処置等の訓練を行うものである。

4  エマ訓は、一日で終了する訓練で、原告が受訓した際の訓練時間は午前一〇時から午後五時一五分までの間で、途中に六〇分の昼食時間がある。訓練の流れは左記のとおりである。

(一) 午前一〇時から五分間 教室でのオリエンテーションで、教官二名の自己紹介から当日の訓練の概要についての説明

(二) 午前一〇時五分から同三五分まで 教室で危険物輸送について、マニュアルの内容について、スライド等も活用した教官からの講義

(三) 五分間で場所の移動

(四) 午前一〇時四〇分から一一時三五分まで モックアップルームで、客室乗務員だけでの、緊急事態を想定したシミュレーション

(五) 五分間で場所移動

(六) 午前一一時四〇分から一二時四〇分まで 航空機のドアだけが造られたモックアップ内で、当日の受訓生が二班に分かれて、一班一〇人前後の人数となり、二名の教官が二班を交互に担当してドア操作の訓練を行い、受訓生は二種の航空機のドア操作の訓練を行う

(七) 六〇分の昼食

(八) 午後一時四〇分から午後二時一五分まで 教室での教官二名、客室乗務員二〇名前後全員での救急看護訓練

(九) 五分間で場所の移動

(一〇) 午後二時二〇分から午後三時三〇分まで モックアップルームで運航乗務員(機長等)と合同のシミュレーション、教官二名と客室乗務員二〇名前後全員が受訓

(一一) 五分間で場所移動

(一二) 午後三時四〇分から午後三時五五分まで 教室で前述の運航乗務員(機長等)と合同のシミュレーションのフィードバック

(一三) 午後三時五五分から午後五時まで 教室で事例研究、教官二名に客室乗務員二〇名前後が受訓

(一四) 午後五時から同一〇分まで 教室で理解度チェック、教官二名に客室乗務員二〇名前後が受訓

三  争点

1  本件解雇の効力について

(一) 本件解雇理由(<1>労働能力の著しい低下、<2>やむを得ない業務上の都合、<3>その他前各号に準じる程度のやむを得ない業務上の都合)の存否

(二) 休職後復帰に関する労使協定違反の有無

(三) 客室乗務員訓練実施細則違反の有無

(四) 労使間で形成された慣行違反の有無

(五) 罹病者の治療中及び治癒後の職場復帰に関しての確認書違反の有無

(六) 解雇権の濫用の有無

2  不法行為の成否について

(一) 原告に対する退職強要の事実の存否

(二) 退職強要と解雇の違法性

(三) 損害の有無、程度

第三当事者の主張

一  争点1(一)について

1  被告会社の主張

(一) 原告は、客室乗務員として被告会社に雇用されたものである。

被告会社においては客室乗務員として乗務できるための資格は、「オペレーションマニュアル8―1―6<2>、8―2―2」に基づき、「客室業務管理規則」及び「教育訓練管理規則」に定められている。すなわち、客室乗務員に任用されるためには、「緊急時における措置、保安業務、緊急看護法ならびにサービスに関する訓練を修了していること」(4―2―2)が必要であり、その資格を維持するために、被告会社は「客室乗務員に対し、その専門資格を継続するための訓練として実施する」(2―10)ものである。

また、休業後、客室乗務員として復帰する際には、復帰者訓練を受けなければならないことも定められている(2―12)。訓練は、OFF・J・T(オフ・ザ・ジョブ・トレーニング)とO・J・T(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)とに分かれ、訓練終了基準は、次のとおりである(客室乗務員教育訓練実施細則 2―12―2)。

(1) OFF・J・T

休業期間一年以上で復帰する客室乗務員に対しては、知識・技量の行動化ができていることを確認する。

(2) O・J・T

達成目標に沿ってインフライトインストラクターが指導し、総合的に客室乗務員として一人で乗務できるレベルに達していると判断した時点で、復帰者訓練の終了とする。

すなわち、復帰者訓練においては、単なる知識ではなく、客室乗務員として実際に行動することが重要であり、「客室乗務員として一人で乗務できるレベルに達している」と判断されなければ、合格基準には達していないことになる。また、基準に達せず、「教育訓練受講者が設定された評価基準に満たない場合には、教育訓練部長の判断によりあるいは必要に応じ関連部署と調整の上、取扱いを決定」(四―一)することになる。

原告に対しては、三回もの復帰者訓練の機会を与えたが、後述のようにいずれにも合格せず、また復帰者訓練における原告の状況、訓練前後の原告の状況は、単に緊急保安要員として不適格というだけではなく、客室乗務員としての通常業務の遂行も不可能な状態であり、「労働能力の著しく低下したとき」及び「その他前各号に準ずる程度のやむを得ない理由があるとき」(就業規則第四二条第二号、第五号)に該当するものであった。そして、乗務が不可能である以上、雇用を継続しがたい「やむを得ない業務上の都合によるとき」及び「その他前名(ママ)号に準ずる程度のやむを得ない理由があるとき」(<証拠略>。就業規則第四二条第三号、第五号)に該当する。

したがって、本件解雇について解雇権の濫用はなく、本件解雇は正当である。

(二) 原告の復帰者訓練結果

原告に対する復帰者訓練は、三回行われた(第一回目平成七年七月六日、七日 第二回目平成七年八月一日、二日 第三回目平成七年一〇月一九日、二〇日)。以下、各訓練の結果について述べる。

(1) 第一回目

<1> 定期緊急総合訓練(平成七年七月六日実施)

ア 筆記での知識確認

知識に関する合格基準には達している。

イ 救急看護アンビューバック(簡易人工呼吸器のこと)での心肺蘇生法は空気を吹き込むのに時間が掛かり、効果的ではない。心臓マッサージもリズムの取リ(ママ)方が悪く、圧迫点のズレがあった。従って、心肺蘇生法を習得できているとは認められない。

ウ 緊急事態を想定したシミュレーション(模擬演習のこと)

a エマージェンシーディッテング(緊急着水のこと、以下D/Gという)L1(CAの担当部所の位置を示す記号。Lは左側Rは右側。L1は左側前から一番目のドアの部所のこと。L1はL1の補助者のこと。)担当

自分のライフベスト(救命胴衣のこと)の着用忘れ。旅客への禁煙徹底忘れ。他のCAへの指示とアナウンスもできていない。

b エマージェンシーランディング(緊急着陸のこと、以下L/Dという)L1担当

緊急時の機内準備ステップ4(緊急脱出時の機内外での脱出の援助をしてくれる旅客を選出する手順のこと。航空機の緊急時における機内準備は、業務要領により、ステップ1から6まで定められ、順次対処することとなっている。)において援助者の選出(方法と人数)が正しくできなかった。また、援助者への説明ができず(順序、不必要なことの説明、声が小さい)、着陸までの時間がなくステップ5(単独で脱出が困難と思われる旅客の取扱)まで進めない状況での対処(補完作業)ができなかった。シミュレーションを通して声が小さく、旅客に指示が伝わらない状況であった。声の点については、インストラクター(指導教官)から指導しても終始変化がなかった。

エ ドアトレーニング

a B6(ボーイング七六七型機)D/G 区分2(区分2は国際線のことで、ボートになるものがないと脱出不可の場合)

ドア操作時、外部状況の確認を忘れ(L/Dの場合は、火災の発生がないかどうか、障害物がないかどうか等。DGの場合は、ドアが水面よリ(ママ)上にきているかどうか、強い波風がないかどうか等の確認を行う。)、ドアオープン後の機外脱出用スライド(緊急時にふくらむ滑り台のようなもの)が膨らまない状況で、インフレーションハンドル(脱出用スライドがドアオープン時自動的に膨らまない場合に手動で膨らませる装置)を引いたが膨らまないという状況設定の時に、その後の処置ができず、10カウントを忘れた(脱出用スライドがドアオーブ(ママ)ン後使用可能な状態に膨らむまで一〇秒数えて待つことになっているが、その際のカウントを忘れた)。旅客誘導の言葉が出てこない。ドア操作前に自分のライフベストの着用を忘れた。自分自身の衝撃防止姿勢がとれなかった。

b B4(ボーイング七四七型機)D/G区分1(区分1は、国内線と韓国線で、ライフベストのみで脱出可能な場合)。

ドアオーブ(ママ)ン後脱出用スライドが膨らまない状況で、インフレーションハンドルを引くことなく、そのまま旅客に海に飛び込むよう指示した。旅客にライフベストを着用させるのに手間取った。

<2> ドア及び翼上非常口の実習(平成七年七月七日実施)

ア B4

a 通常時(緊急時ではない)のドア操作

閉開ともに正確にできなかった。セレクターレバー(レバー操作により、緊急時脱出の際、ドアをオープンすると自動的に脱出用スライドが膨らむ状態にするか、ふく(ママ)らまない状態にするかをセレクトする。膨らむ状態のことをB4ではオートマチック、B6ではアームド、L10ではエンゲージといい、膨らまない状態のことをB4ではマニュアル、B6ではディスアームド、L10ではディタッチという)移動の相互報告ができない(セレクターレバーが正しい位置になっていないと、例えば普通の運航において着陸後旅客降機時にドアを開けるとスライドが膨らんでしまい、思わぬ事故が生じるので危険であり、CA同士相互に必ず確認することになっている)。

b 非常時のドア操作(No.3のドアを除く。何故なら、B4のNo.3ドアは、翼上のドアであり、その他のドアと操作手順や構造が異なり、特別の取扱いを要するため)。

操作手順でセレクターレバーのオートマチックの確認ができない。外部状況確認内容が不確実である。

c 非常時のドア操作(No.3)

脱出可能な状況にあるにも拘らず脱出不可の誘導をした。

d 非常時のドア操作(B4の二階席のドア。一階席のドアと構造、操作手順が異なる。例えば二階席のドアでは、ドアオープン時エスケープスライドバックという装置が落ちてその後スライドが膨らむようになっているが、それが落ちない場合は10カウントせず即座に手動でエスケープスライドバックを落とす必要がある)

状況判断ができず、操作が手順通りにできない。

イ B6

a 通常時のドア操作

確認項目を抜かす等、不確実であリ(ママ)操作手順通りにできない。セレクターレバー移動の相互報告もできない。

b 非常時のドア操作

外部確認内容が正確に言えない。10カウントを始めるのが遅い。状況判断に時間が掛かり、手順のインフレーションハンドルを引くのが遅い。

c 翼上非常口の操作

想定(L/DとD/G)を間違えた。外部確認項目を間違えた。操作手順を確実に実施できない(インフレーションハンドルを引く等)。

ウ L10(ロッキード1011型機)

a 通常時のドア操作

フロアラッチ(スライドがドアオーブ(ママ)ンによって自動的に膨らむ位置にあるか否かを確認するための指標。床にある。)のディタッチ(スライドが膨らまない状態にあること)、地上係員の操作OKサインの確認、セレクターレバーの移動等、手順通りに実施できない。セレクターレバー移動の相互報告もできない。

b 非常時のドア操作

L/DとD/Gを間違えて操作した。外部状況やスライドの使用可能な状態の確認項目も間違えた。

(2) 第二回目

<1> 定期緊急総合訓練(平成七年八月一日実施)

ア 筆記での知識確認知(ママ)識に関する合格基準に達している。

イ 救急看護

アンビューバックでの心肺蘇生法は、マスクと顔の密着が不確実で、効果的でなかった。心臓マッサージも片手は指先で実施しており、指導しても改善されなかった。全体的に力が入っておらず心肺蘇生法の効果が得られない(蘇生しない)と思われる。

ウ 緊急事態を想定したシミュレーション

a R3 D/G 区分二

各体型肘衝撃防止姿勢で、インストラクターが質問したときには答えられたが、実際に旅客にとらせる姿勢の説明ができていなかったり、間違えたりした。外国人旅客に英語での説明ができない。脱出口のデモ(デモンストレーションのこと。脱出口などを旅客にしらせること。)では、使用してはいけないドアであるR3を指示した(この時は区分2での脱出を想定しており、必ずボートがなければ脱出させられないのに、ボートのないドアを脱出口として示していたということ)。

b L1 L/D

キャプテンブリーフィング時の合図等、確認項目漏れ。CAブリーフィングでも、指示の不備、他CAから促され、補足された。ステップ4で、援助者への説明が確実にできず混乱した。また援助者の質問にも答えられなかった。ドア操作時、セレクターレバーの確認で指差しするところ、ドアのハンドルを指差した。スライドの使用可能な状態を確認しなかった。旅客への説明(特に、援助者への説明)が正確にできない点については、前回の指摘にもある。声が小さく旅客に伝わらない点も第一回目にも指摘されている。アナウンスも途切れがちであると指摘されている。

エ ドアトレーニング

a B4 L/D 二階席

ドア操作の手順ができていない。エスケープスライドバック(二階席のドアは、ドアオープン後エスケープスライドバックが機外に落ちてスライドが膨らむ構造になっている)が、落ちていない状況が判断できない。その後、手で落とそうとしたが手順が混乱し間違えている。

b B6 D/G 区分1

スライドが膨らまない想定で、インフレーションハンドルを引かずに他のドアへ旅客を誘導した。

<2> ドア及び翼上非常口の実習(平成七年八月二日実施)

ア B4

a 通常時のドア操作

閉操作時、ドアを閉めた時、ドアに異物が挟まるなどして隙間ができないか等を確認するのが不確実。

b 非常時のドア操作(No.3を除く)

操作手順で、セレクターレバーの確認をしなかった。スライドが膨らんでいないのに、膨らんでいると言ってインフレーションハンドルを引かなかった。外部状況の確認が不確実。

c 非常時のドア操作(No.3)

マニュアル時、どのような機能になるのかを理解していないため操作できない。

d 非常時のドア操作(二階席)

スライドの使用可能な状態の確認項目が漏れて、できていない。

イ B6

a 通常時のドア操作

隙間の確認時、ドア下の確認ができていない。

b 非常時のドア操作

スライドの使用可能な状態の確認項目が漏れている。

c 翼上非常口の操作

動きはどうにかできているが、手順の文言が曖昧である。

ウ L10

a 通常時のドア操作

手順通りにできた。

b 非常時のドア操作

フロアラッチがエンゲージであるにもかかわらず、デイ(ママ)タッチである、と確認していた。これではスライドが機体にセットされないことになる。脱出用スライドが膨らまない状況であるにもかかわらず、インフレーションハンドルを引かず脱出用スライドが使用不可のまま誘導をした。結局、脱出口を確保できない結果となっている。

(3) 第三回目

<1> 定期緊急総合訓練(平成七年一〇月一九日実施)

ア 筆記での知識確認

知識に関する合格基準に達している。

イ 緊急看護

アンビューバック使用については、問題なし。

ウ シミュレーション

a L3 L/D

タイガー・テイルの確認漏れ(B4のNo.3のドアは翼上のためスライドは折れ曲がって膨らみ、完全に膨らんでいるかどうかは、構造上、ドアの窓からの視確認ができない。そこでこのスライドの先には黄色と黒色の縞模様のついた棒(タイガー・テイル)がついており、完全にスライドが膨らんだときにはこの棒が直立し、これを視確認することで完全な状態であることを知ることができる。)。L3の行動ができていない。インストラクターがL3であることを促して、ようやく、タイガー・テイルを確認している。すなわち、原告は、翼上に位置している脱出口(L3)から、機外脱出用のスライドを利用しての脱出の誘導において、スライドが充分に膨らんでいることを確認しないまま(充分に膨らめば、タイガー・テイルが立った状態になる)、乗客を滑らせた。インフレーションハンドルを引くことをせず、他のドアへ旅客を誘導した(スライドが充分に膨らんでいないときは、ガスを送るインフレーションハンドルを操作することになるが、この操作をしないで別のドアに乗客を誘導したということである。)。夜間の設定にもかかわらず、フラッシュライト(CAが使う懐中電灯のようなもの。)も使わずキャビンの状況を確認。

b L1 D/G

CAブリーフィングで、「二分前、三〇秒前の確認」(緊急着陸等の場合は操縦士が機内で諸準備をしているCAに対し、着陸・着水までの残りの時間を二分前と三〇秒前に伝えることになっており、まず操縦士と主審室乗務員がその打合せをし、その後主客室乗務員がその他CAに対し同趣旨の内容を伝えるための打合せを行う。)において、想定(L/D、D/G)を二度間違えていた。他のCAが質問をし、確認したことによって、軌道修正していた。

エ ドアトレーニング

B4 D/G 区分1

スライドが膨らまない想定で、インフレーションハンドルを引かずに旅客を脱出させてしまった。

<2> ドア及び翼上非常口の実習(平成七年一〇月二〇日実施)

ア B4

a 通常時のドア操作開閉共に問題なし。

b 非常時のドア操作(No.3を除く)旅客のパニックコントロール(旅客が緊急時に精神的な混乱を生じて統制不能な状態になるとかえって危険なため、口頭で落ち着かせ、指示の行き届く状態にする行為)が実施されていない。

c 非常時のドア操作(No.3)

タイガー・テイルを確認せずに、膨らんでいると言った。「膨らんでいる/接地している/極端な傾斜でない」は、タイガー・テイルをもって確認することになっている。No.3のドアの機構自体が理解できておらず、操作ができない。EVAC(非常時にドア操作を打(ママ)っても構わない旨保安管理者が指示する合図。電灯が点灯し、音が鳴る)が、鳴らないのに、ドア操作を実施していた。

d 非常時のドア操作(二階席)

L/D、D/Gの想定を間違え、接水を接地と言っている。知識の混同。脱出誘導中に、ライフベストの着用指示を出している。二階席のドアの機構が理解できていない(エスケープスライドバックと10カウントは全く関係ない。)(ママ)

イ B6

a 通常時のドア操作

閉操作時、ハンドルのクローズ位置を確実に確認できていない。

b 非常時のドア操作

外部確認の文言を間違っている(正―ドアの近く、誤―ドアの外を見て)。スライドラフト(スライドは切り離してボートにすることができ、そのボートのこと)の確認を実施する前に、旅客を誘導してしまった。旅客がボートに乗り込んでいる途中なのに、「遠くに逃げなさい」という指示をする。10カウントしないで、インフレーションハンドルを引いている。ドアが自動的にオープンしない等、状況が変わると手順が混乱している。

c 翼上非常口の操作

非常口をドアと間違える。

ウ L10

a 非(ママ)常時のドア操作

セレクターレバーの相互報告ができていない。

b 非常時のドア操作

スライドの確認前に、ライフベストのひもを引いていた。展膨(スライドの膨らんだ状況のこと。)確認項目である「極端な傾斜」を正確に言えない。「急傾斜」と言っている。旅客への指示をL/D、D/Gで混乱している。「すべって」、「KeeP UPright(上半身を起こしてスライドを滑ること。これはL/Dの時にのみ使う指示)」は、L/D。L/Dで展膨確認が漏れた。「膨らみました」では不足。「接地している」、「極端な傾斜でない」を抜かしている。

以上の訓練状況と結果から、筆記での知識確認はできたが、実習部分で、明らかな理解不足(第一回目)、手順を逸脱した項目が多い(第二回目)、実習部分で手順を逸脱した項目が多く、また、第一回目、第二回目の訓練でも指摘・指導を受けた同じところで再度指摘・指導をされている(第三回目)ことから、いずれも知識・技量の行動化ができていないと判断し、「不合格」と判定された。

2  原告の主張

(一) 復帰にあたって要求される能力

復帰にあたって受ける訓練の修了基準に達しているかを判断するに際しては、主客室乗務員の能力を基準にする必要はなく、新入社員と同程度でも足りる。原告は「労働能力が著しく劣」っており、OFF・J・Tのレベルにも達していないとして解雇されたが、エマ訓における結果からも保安及び緊急対策業務における労働能力の著しい低下はない。又、接客能力、サービス業務における能力も低下していない。

(二) 原告の職務の特性等

(1) 原告は、昭和四八年に被告会社に入社後、労災のために休職を余儀なくされるまで、一八年間客室乗務員として乗務してきた。そして客室乗務員の業務は、単なる知識だけではなく、操作、手順を身体で一連の動作として覚えていることも多く、かなりブランクがあっても、実際に乗務すれば、すぐにブランクが生じる前の水準に戻ることができる。

(2) 被告会社は、原告が緊急保安要員としてはもとよりアナウンス能力や客からのクレームに対する対応等も不十分であり、客室乗務員としての能力がないと判断しているが、他の客室乗務員のアナウンス能力やクレーム処理能力と比して原告の能力が劣っていることはない。原告と同程度のキャリアを要する客室乗務員も、原告が他の客室乗務員と比べても能力があることを認めている。それにもかかわらず被告会社のみが、原告にアナウンス能力やクレーム処理能力がない等と判断することは不当な評価である。

平成九年度上期のキャビンアテンダントレポート報告によると、客室乗務員のサービス・対応に対するクレーム件数は大幅に増加している。被告会社自ら「CAの対応力が追いつかないことが読み取れる」「依然として、基本の徹底がなされていれば防げた例も多く、今後も基本動作の徹底が必要である」と認めている。また、平成一〇年四月に作成されたANNリーダー便りでも「詰まったり読み違いをされる方が多く、きちんとアナウンスできる方はほとんどいらっしゃいませんでした」としてアナウンス能力が不十分な客室乗務員が存在することをみとめている。更に、平成一〇年四月六日付「アナウンス・語学力に関する平成一〇年の運用について」と題する書面においても「合格レベルに達していない客室乗務員(CA)」の存在を認めている。しかし被告会社の大阪空港支店において約四〇〇人の客室乗務員が年に一回エマ訓を受訓して乗務してる(ママ)が、特に問題は生じていないし、「アナウンスレベルが合格水準に達していない」客室乗務員も全て乗務している。

(三) 本人の努力による能力の維持

原告は、主治医の「六月一日より就業可能」との診断書が作成された平成七年四月末頃から、勉強計画を立て、以前にもまして必至にエマ訓の勉強を始めた。幅の合計が約一〇センチメートルもあるマニュアル二冊をラインマーカーを引いたりインデックスを張ったりして読み込んだり、ドアの絵を書いた紙を壁等に張ってドア操作の練習をしたりして、実際にマニュアルにより得た知識を行動化する努力をした。更に同僚の柳井トモ子(以下「柳井」という。)の協力を得て、エマ訓を受ける直前には実際のエマ訓の状況を想定してドアシミュレーションを実施し、被告会社が当時保有していた機材の三機種の緊急時のドア操作、乗降用のドア開閉操作などを声を出し合って確認したりした。更にエマ訓を受訓する直前も、被告会社に呼び出されてアナウンスチェックと称してエマ訓と無関係なアナウンスを暗記させられたり等という、エマ訓の準備のための勉強を妨害しかつ退職を強要する被告会社の社員の行為に耐えながら、帰宅後に睡眠時間二、三時間という状況で勉強を続けていた。

(四) 原告の労働能力の存在

(1) 三回の復帰者訓練を通じて被告会社が、原告ができなかったと主張する項目の中には、原告は手順どおり実施し、指導教官からもそのような指摘を受けなかったものがある。またライフベストの着用のように、原告が忘れていたのではなく、その動作を行う(ママ)としたときに指導教官から指摘を受けたものや、指導教官から指摘された後訓練をやり直すことで訓練を終了しているものもある。

第三回のエマ訓について述べるに、唯一合否判定がある筆記での知識確認は合格点に達していた。救急看護は、被告会社すら「問題なし」と答えざるを得ないほど完壁(ママ)であった。

<1> 次に緊急事態を想定したシミュレーション訓練(模擬演習)について、原告が「客室乗務員役」でボーイング七四七型の左側から三番目のドア(L3)を担当し、緊急着陸を設定(L/D)した訓練について述べる。

被告会社は、「タイガー・テイルの確認漏れ。」「L3の行動ができていない。」と主張するが、虚偽である。ボーイング七四七型機の左側前から三番目のドアは、翼上にあるため、スライドは折れ曲がって膨らむ構造になっているので、完全にスライドが膨らんでいるかどうかは構造上ドア付近からは目で確認できない。そこで、スライドの先にタイガー・テイルがついていて、完全にスライドが膨らんだ時には、このタイガー・テイルが直立し、その直立を目で確認することで、完全に膨らんだ状態であることを確認する。原告はシミュレーションの想定に従い、口頭でタイガーテール(ママ)の確認を含めL3ドアの操作を正しく行った。また原告は訓練時、援助者への説明を行ったところ、指導教官からは内容はそれでいいが、援助者には「区切って復唱してもらった方がわかりやすい」というコメントであった。また被告会社は、原告が「タイガー・テー(ママ)ルが見える状態であることを確認した」と言いながら「タイガー・テ(ママ)ールが見えない状態であることを確認した」と相反する主張をしているとするが、原告が「タイガー・テー(ママ)ルが見えることを確認する」と言ったところで、教官から「タイガー・テー(ママ)ルが見えません」と口頭で状況を指示する設定が入ったので、その後は、タイガーテール(ママ)が見えない状況設定で、原告はマニュアルにある必要な対応を勧(ママ)めたのである。さらに被告会社は「インフレーションハンドルを引くことをせず、他のドアへ旅客を誘導した。」と主張しているが、原告はスライドが膨らんでいない状態である事が確認できたために、インフレーションハンドルを引いている。教官からこの点について「引いてない」との指摘も受けておらず、やり直しもしていない。加えて、被告会社は「夜間の設定にもかかわらず、フラッシュライトも使わずキャビンの状況を確認。」と主張しているが、これも事実と異なる。原告はフラッシュライトが必要と判断し、探したが見当たらなかったので、口頭で「フラッシュライトを持っています」と「声」に出して、キャビンの状況を確認した。想定訓練では、実際の物が使えない為に、口頭で「あったつもり」「したつもり」の訓練を行うことが、しばしばある。この時も、教官から何らの指摘も受けていないし、やり直しもしていない。

<2> シミュレーション訓練で、原告が「主客室乗務員役」で、ボーイング七四七型機の左側前から一番目のドア(L1)を担当し、緊急着水を設定(D/G)した訓練について述べる。

被告会社は、「ブリーフィングで二分前、三〇秒前の確認について伝えていなかった。」と主張するが、原告はキャプテンとのブリーフィングの中で、「主客室乗務員役」として確認すべき項目は全てもれなく確認しており、二分前、三〇秒前の確認もした。原告はキャプテンとの間の確認はメモに記載し、他の「客室乗務員役」の伝達の時に、メモを読み上げて正確に伝達している。教官から何らの指摘も受けておらず、やり直しもしていない。又、被告会社は「想定(L/D D/G)を二度間違えていた。他のCAが質問をし、確認したことによって、軌道修正していた。」と主張するが虚偽である。緊急着陸か着水かでは手順が異なる。着水は救命胴衣の着用から始めるが、原告が訓練を救命胴衣の着用から開始しているのは、まぎれもなく緊急着水という状況判断に基づいてのものであり、他の客室乗務員からの指摘で気がついたということはあり得ない。

<3> ドアトレーニングのボーイング七四七型機の緊急着水区分1の訓練(B4 D/G)について述べる。

被告会社は「スライドが膨らまない想定で、インフレーションハンドルを引かずに旅客を脱出させてしまった」と主張しているが虚偽である。原告はインフレーションハンドルを引いてから、旅客の脱出指導の「声」かけと「動作」を行った。被告会社は原告がインフレーションハンドルを引くのを、第一回目も第二回目もしないで旅客を脱出させたと主張しているがいずれも事実でない。

<4> ドア及び翼上非常口の実習におけるB4のドア操作について述べる。

通常のドア操作については、「開閉共に問題なし」と被告会社は認めているが、原告はその他の訓練内容も何ら問題ない。

非常時のドア操作で、被告会社は「旅客のパニックコントロールが実施されていない」と主張しているが事実でない。原告は旅客のパニックコントロールを確実に行っている。原告提出のビデオから、原告にパニックコントロールを確実に行う能力があることは明白である。非常時のドア操作(No.3)について、被告会社は「タイガー・テイルを確認せずに、膨らんでいると言った。」と主張しているが虚偽である。原告は使用できる状態にあることはタイガーテール(ママ)で確認した。原告はタイガーテール(ママ)を確認し、「見えた」というところを「立った」と言った。その文言がマニュアルでないとの指摘はなされたが、確認していることは事実である。また被告会社は「No.3ドアの機構自体が理解できておらず、操作ができない」と主張するが、原告はタイガーテール(ママ)が見えていることを確認しており、機構をよく理解していることは明白である。さらに「EVAC(非常時にドア操作を行っても構わない旨保安管理者が指示する合図。電灯が点灯し、音が鳴る)が鳴らないのに、ドア操作を実施していた」と主張するが虚偽である。原告はEVACが鳴らないのにドア操作を実施した事実はない。非常時のドア操作(二階席)について、「L/D(緊急着陸)D/G(緊急着水)の想定を間違え、接水を接地と言っている。」と主張するが虚偽である。被告会社は「脱出誘導中に、ライフベストの着用指示を出している」と主張しているが、この時点の手順では、すでにライフベストを着用している設定であり、原告は念の為に「ライフベストを着てください」と誘導中に一回だけ言った。手順を間違ったものではない。教官から何らの指摘も受けておらず、やり直しもしていない。被告会社は「二階席のドアの機構が理解できていない」と主張しているが、原告は正確に理解している。教官から何らの指摘も受けておらず、やり直しもしていない。

<5> B6の通常時のドア操作について述べる。

被告会社は「閉操作時、ハンドルのクローズ位置を確実にで(ママ)きていない」と主張しているが事実でない。しかも、これは教官によって指示内容が異なる顕著な例である。被告会社は先に、B4の通常のドア操作については、「開閉共に問題なし」と認めた。しかるにB6についての主張は左記の教官の指導と異なる内容となっている。原告はマニュアル通りの手順で、ハンドルをクローズの位置に両手で正確に押さえる動作をしたが、教官が、クローズの位置に両手で押さえる動作をあと数センチ横にずらすように指示したので、その指示通りやり直した。これが、被告会社の主張する内容となっているのである。非常時のドア操作について、被告会社は「外部確認の文言を間違っている」として、正確には「ドアの近く」と言うところを「ドアの外を見て」と言ったと主張する。しかし、事実ではない。真実は、原告は、ドア開放操作で、火災の発生や障害物がない」(ママ)とを確認して「ドアの近くに火災の発生、障害物がありません」というところ、「ドアの外を見て・・」と言いかけたが、教官の指摘前に気がついて直ぐに「ドアの近く」と言い直したものである。被告会社は「スライドラフトの確認をする前に、旅客を誘導した」と主張するが、虚偽である。又、教官から何らの指摘も受けておらず、やり直しもしていない。旅客がボートに乗り込んでいる途中なのに、「遠くに逃げなさい」という指示をしたとあるが事実ではない。原告は一連の行為として、マニュアル通りに述べている。「10カウントしないで、インフレーションハンドルを引いている」とあるが事実ではない。原告は10カウントをしないで、インフレーションハンドルを引いた事実はない。また、被告会社は「ドアが自動的にオープンしない等、状況がかわると手順が混乱する」と主張しているが、原告は混乱することなく、実施し訓線(ママ)を終了している。被告会社は「非常口をドアと間違える」(ママ)主張しているが、翼上の非常口と通常のドアとは、機構も操作方法も全く異なり、手順もまるで違う。従って、二つの操作を間違えてはいない。百歩譲っても被告会社の「言い間違え」が「非常口」を「ドア」と間違える程度であり、被告会社が訓練内容結果で原告が不合格となったと主張することが不当であることは明らかである。L10機種についての通常時のドア操作で、「セレクターレバーの相互確認ができていない」と主張するが、これは原告が休職中にできた新しい手順だったため当初はスムーズにできなかったが、原告は三回目には完壁(ママ)に行動化できていた。原告はドア操作を手順どおり行っていたが、教官からは「操作手順が一部ぬけた」と言われた。原告はこれに対して「その項目はきちっと伝えました」と反論すると「じゃあ、いいです」と教官自身が指摘を訂正した。右以外、教官から何らの指摘も受けていないし、やり直しもしていない。非常時のドア操作で、被告会社は「スライドの確認前にライフベストのひもを引いた」とあるが事実ではない。又「展膨確認項目である(極端な傾斜でない)を正確に言えない。(急傾斜)と言っている」と主張するが原告は「極端な傾斜でない」と発言している。ちなみに「急傾斜」と言うのは、以前のマニュアルの中で使用されていた言葉である。又、被告会社は「旅客への指示をL/D(緊急着陸)、D/G(緊急着水)で混乱している」と主張するが、原告は、知識の行動化ができており、混乱していないし、言い間違えもしていない。教官から何らの指摘も受けていないし、やり直しもしていない。更に、被告会社は「L/D(緊急着陸)で展膨確認が漏れた」として、「接地している」「極端な傾斜でない」を抜かしたと主張しているが、虚偽である。いずれも、知識を行動化して訓練を終了している。教官から何らの指摘も受けていないし、やり直しもしていない。

(2) 以上のように、原告には客室乗務員として復帰する能力が備わっており、三回のエマ訓においても、他の訓練を受けた客室乗務員と同程度にはできており、これら他の客室乗務員と比較して能力が劣ることはない。

原告は、エマ訓の状態をいくつか想定したシミュレーションをビデオで撮影したが、その際原告の動作を取り直すことはほとんどなかった。

また一回目のエマ訓の直前に原告に対してシミュレーションを実施した同僚の柳井も口頭での確認では知識の混乱もなく、スムーズに言えていたと述べていたこと、及び原告の三回目の訓練に一緒だった者も、原告の様子をごくごく普通の、取りたてて目立った、これがどうのこうのということはなかったばかりか、逆に、L1として、最初のブリーフィングでキャプテンからの情報を伝えた後に、すべての準備は着陸予定時刻の一〇分前までには終わりたいと思いますので、皆さん時間感覚を持ってやりましょうというとこら(ママ)まで投げかけていたということで、四年間のブランクの後なのに、やっぱりキャリアがもたらした技かなということで、感心もしていたと述べていたことからも明かである。

二  争点1(二)について

1  原告の主張

(一) 昭和五七年六月二六日の「客室乗務員の懐妊休職の取扱」の協定書は、育児休業法制定時に作成された客室乗務員の育児休職制度に関する協定書に現在引継がれている。但し、右協定成立の際に従来の協定書を破棄するとされているが、左記復職手続きに関する合意については従前の取扱が継続してきた経過があり、協定書で「4復職手続」の項目の後に「5その他」として「乗務復帰時の訓練は、他の休職者の復帰時と同様に取扱う」とされ、労使合意で「復帰時の訓練」として「エマ訓と規定類の変更等についての座学で二日間、三日目から乗務となる。編成外乗務については基本的には行わないが、面談により客室部長が必要と認めた場合には、二日を限度に行う。」「復職時にエマ訓ができない月一(ママ)、三、五、八月等)の復帰者については、休職時(復職日に一番近い訓練実施日)にエマ訓を受け、復職時に代休を取得する」とされ、訓練は復帰の為の研修として位置づけられている。従って、復帰時に行うエマ訓には、「合格・不合格」の概念はない。因みに、右労使合意の「編成外乗務」とは、客室乗務員の定員に加えずに復職者を実際に航空機に乗務させて、実地訓練を行うもので、従って、復帰訓練を受ければ、必ず乗務させることになっていた。

(二) 妊娠休職者等の復職に際しては、休職していた客室乗務員が復職時に「訓練」をさせるようにという客室乗務員の要求を受けた組合の被告会社への要求に対し、被告会社は「休職者は三年以上のベテランばかり、信頼している」「二年たらずの休職で実力が落ちると思えない」「休職前の技術、知識は維持されていると思う」等と主張し、技量回復の手だては不要としていた。このように、復帰者訓練は労働者の要求から生まれた訓練であって、合否のない訓練、研修だったのである。従って、原告に対する本件解雇は「客室乗務員の懐妊休職の取扱」の協定に違反するものである。

2  被告会社の主張

原告主張のように、客室乗務員の育児休職制度に関する協定書の締結に伴い、従前の懐妊休職協定書の「(5)その他 乗務復帰時の訓練は、他の休職者の復帰時と同様に取扱う」との趣旨が「エマ訓と規定類の変更等についての座学で二日間、三日目から乗務となる。編成外乗務については基本的には行わないが、面談により客室部長が必要と認めた場合には、二日を限度に行う。」「復職時にエマ訓ができない月一(ママ)、三、五、八月等)の復帰者については、休職時(復職日に一番近い訓練実施日)にエマ訓を受け、復職時に代休を取得する」とされたことは認めるが、訓練さえ受ければ、必ず乗務できるものではなく、そのような労使協定も存在しない。

三  争点1(三)について

1  原告の主張

客室乗務員に関する訓練には、「資格取得訓練」「資格維持訓練」、及び「復帰者訓練」があるが、「資格取得訓練」と異なり、「資格維持訓練」及び「復帰者訓練」は合否の判定を伴う訓練ではない。それにもかかわらず、被告会社は各「訓練」の「達成基準および評価」を故意に混同させ、原告の労働災害による休職後の復帰訓練を、「合否」の判定を伴う「訓練」として主張し、原告の解雇の正当性を主張するが、これは被告会社の従前の規則等に反するものであって無効である。

すなわち、

(一) 「客室乗務員資格取得訓練」は「客室乗務員として必要な知識・技量・態度を習得させ、客室乗務員として乗務できる資格を取得し、あわせて社員としての意識の向上を図る」とされ、OFF・J・Tは「座学・実習ともに一定の基準をもうけ評価を行い」、その「基準に達していない者については、必要に応じ再度個別に追加訓練を実施する。」とされ、「最終的にすべての項目が一定の基準に達している」と教育訓練部長が認めた場合、O・J・Tに移行するとされ、O・J・Tは「達成目標に沿ってインフライトインストラクターが指導し、総合的に客室乗務員として一人で乗務できるレベルに達していると判断した時点で、新入訓練の終了とする。」と規程している。従って、客室乗務員資格取得訓練では、OFF・J・Tに「合格」しなければ次の段階であるO・J・Tに移行しないと、規則で定めているのである。

(二) これに対し、客室乗務員としての専門資格を「継続」するための訓練として実施する「エマ訓」は、訓練を受ける者が「客室乗務員としての資格を取得してる(ママ)こと」を前提としている。そして、右訓練のカリキュラムを終了する基準として、「緊急保安に関する知識確認」は「維持されていることを確認」し「緊急時を想定したシミュレーション及び脱出実習」と「緊急時のドア操作」では「知識・技量の行動化ができていることを確認する」とされており、右「確認」できない場合があるとしても、その場合は「訓練終了基準に達しなかった場合」として、「必要な指導を行い、再度確認を行う」とされており、一のような「合否」の判定に関する規程にはなっていない。

また「復帰者訓練」でも、「訓練シラバス(カリキユラム)」では、OFF・J・TとO・J・Tで構成され、そのカリキユラムは休業期間によって多少異なるものの、原告の場合には休職期間は一年以上となるので、OFF・J・Tとしては「エマ訓」と「地上勤務」であり、O・J・Tは「編成外慣熟乗務」とされ、その「訓練の終了基準」として、OFF・J・Tは「休業期間一年以上で復帰する客室乗務員に対しては、知識・技量の行動化ができていることを確認する」とし、O・J・Tでは「達成目標に沿ってインフライトインストラクターが指導し、総合的に客室乗務員として一人で乗務できるレベルに達してる(ママ)と判断した時点で、復帰者訓練の終了となる」と規定され、「確認できないとき」はどうするかに関する規程はない。

(三) さらに運航乗務員(いわゆるパイロット)の資格審査の「合否判定」手続きと比較しても、客室乗務員の復帰者訓練やエマ訓は「合否判定」手続きが予定されていないのは明白である。

一旦資格を取得した運航乗務員(いわゆるパイロット)を対象に、評価で合否判定があるのは、機長の場合には、航空法第七二条に従って行われる六か月毎の知識、技能の試験や路線毎に行われる審査等があるが、実施科目及び各々判定基準が明確に示され、訓練とは明確に区別されている。すなわち、評価は〔良〕〔可〕〔否〕、の三段階とされ、科目評価〔否〕が一科目以上ある場合、総合評価を〔否〕とし、判定は〔合格〕〔不合格〕〔保留〕及び〔未了〕の四種類とし、総合評価〔可〕以上を〔合格〕とし総合評価〔否〕を〔不合格〕とすると明確に規定している。そして、技能審査、路線審査、実地検査毎に、科目、実施要領、評価基準が詳細に規程されており、評価を受ける運航乗務員には被告会社から右規程書が配布され、具体的な合否の基準が示されている。

これに対し、原告のエマ訓の合否に関する科目、実施要領、評価基準も、被告会社は明確にしないばかりか、原告の再三の開示要求にも応じていないのであり、それは、被告会社にはエマ訓や復帰者訓練は、訓練であって合否の判定を予定されていないからに他ならない。

2  被告会社の主張

原告が、客室乗務員としての資格を有し、また客室乗務員としての発令を受けていたこと、客室乗務員の教育及び訓練について定めた客室乗務員教育訓練実施細目には客室乗務員資格取得訓練、資格維持訓練、復帰者訓練について記載されていることは認めるが、復帰者訓練に合否がないという原告の主張は争う。

四  争点1(四)について

1  原告の主張

従来、客室乗務員が復職する際の復職訓練は、前述した労使合意及び被告会社の就業規則に基づき実施されてきたもので、従来職場復帰する場合に復職訓練であるエマ訓を受けた者はその後全員が現場復帰してきた。原告が、被告会社で客室乗務員として稼働してきた二〇年の間には不合格者はなく、これは、従前、復職者の取扱として、労使で合意ないし慣行として運用してきたものである。従って、本件原告に対する解雇は慣行違反である。

2  被告会社の主張

復帰者訓練に合否がない、また復職者の取り扱いとして、訓練を受ければよいという労使の合意ないし慣行があるという原告の主張は争う。

五  争点1(五)について

1  原告の主張

被告会社は、昭和五三年一月一九日付「確認書」について、全日本空輸労働組合との間で、罹病者に対する取り扱いに関して、「罹病者の治療中及び治癒後の職場復帰に際し、業務外と判断されたものを含め、会社は病状の程度、医師の所見に応じ、本人と十分相談の上、治療に必要な軽減乗務等の勤務割上の配慮を行う」ことを確認している。昭和五三年当時、罹病者として疲労性腰痛が問題になっていた為、確認書では疲労性腰痛が明記されているが、使用者は労働契約上、安全配慮義務を負うから、罹病者には疲労性腰痛以外の傷病を含むことは当然である。その場合、使用者は罹病者の職場復帰にあたり、治療に必要な軽減乗務等の勤務割上の配慮を行う義務を負っている。原告の傷病は、平成三年四月一八日に乗務の為に乗車した会社手配の配送タクシーで遭遇した交通事故によるものであり、労働災害として認定されているので、右確認書の罹病者にあたる。従って会社は、「病状の程度、医師の所見に応じ、本人と十分相談のうえ、治療に必要な軽減乗務等の勤務割上の配慮を行う」義務を負う。三月一五日付主治医の書面では、「活動量を徐々に増やしていけば、仕事への復帰は十分に可能と考えています」と記載され、六月二七日付の主治医の診断書にも「平成七年七月六日より就労可能と認めます。今後も神経科受診、産業医面談を継続しつつ、復帰者訓練、軽減勤務が必要と考えられます。」と記載されているのも確認書で確認したこと、すなわち労災により長期間の休職を余儀なくされた労働者の復帰にあたり配慮すべきことを医師として明記したものである。しかるに被告会社は、原告の職場復帰にあたり、「医学的に休業が必要な状態でなくなれば、復帰ということになり、知識を回復する為の猶予期間というものはない。復帰予定日を決めて復帰者訓練を行う。徐々に復帰ということはない」と明言したり、復帰に際しての訓練カリキュラムにないアナウンスチェックを行ったりしており、これは確認書に違反する。

2  被告会社の主張

原告の主張は争う。

六  争点1(六)について

1  原告の主張

原告に対する本件解雇は、「信義則違反に基づく解雇権の濫用」といえ無効である。原告は入社以来二〇年間、客室乗務員として誠実に勤務してきた。しかるに業務中の労働災害でやむなく四年間の休職を余儀なくされたものの、原告は復職の強い希望から、四年間のブランクを克服して心身共に健康を回復し、社医の職場復帰の許可のもと復職を果たしたのである。かような原告の心情を考えるならば、労災後の職場復帰には、他の理由の休職者の復職訓練以上に、より一層慎重な配慮が図られてしかるべきであり又、それが、復職を希望する労働者にとって必要不可欠な配慮と言わなければならない。しかるに、被告会社の復職扱いは、労災復職も、懐妊者や私病による休職後の復職も同様に運用されてきたが、本来は労災後の復職者には、リハビリ勤務からの乗務開始も考慮されてしかるべきである。社医の診断書にも「平成七年七月六日より就労可と(ママ)認めます。今後も、神経科受診、産業医面談を継続しつつ、復帰訓(ママ)練、軽減勤務が必要と考えられます。」と記載していることからも、明らかである。ところが、かような原告の復職に際して、被告会社は、休職中であるにもかかわらず、しかも何らの事前の連絡もなく突然に「知識テスト」を行うという就業規則違反を行い、更には、他の休職者の復職訓練には求められない「アナウンスチェック」を、これまた休職中にしかも何らの事前連絡もなく突然行ったことを始めとして、エマ訓に本来同行しない原告の職場の管理職が同行したり、従来なかった訓練現場にビデオカメラを持ち込むという、異常な事態で訓練を行い、原告の復帰訓練を妨害し阻み、そして「不合格」の結論を出して、解雇を行った。被告会社は原告が症状固定を果たした平成五年一〇月頃から執拗に退職勧奨を開始し、それでも原告が職場復帰を果たしたいとの強い希望で治療に専念し、それこそやっと職場復帰を果たそうと、復職希望を示した途端に、休職中にもかかわらず「知識テスト・アナウンスチェック」を行って、これを口実に退職強要をし、それでも原告が復職の意思を表明するや、その後は復職訓練に不合格として、更に一層激しい退職強要を連日行い、それでも原告が退職しないと知るや平成八年二月二九日付けの解雇を行ってきた。これら、被告会社の原告に対する一連の退職強要の事実は、復職訓練が退職強要、解雇の為の口実作りであったことをは(ママ)明白に示すものである。かような被告会社の一連の行動は、真撃(ママ)に復職訓練を受けて職場復帰を図ろうとする労働者の人権を無視・侵害する行為を行ったものである。そして、復帰訓練「不合格」を口実に「労働能力の著しい低下」等を理由として本件解雇を行ったことは、明らかに信義則に反するもので解雇権の濫用と言わざるを得ないものである。

2  被告会社の主張

原告の主張は争う。

七  争点2(一)について

1  原告の主張

(一) 休職に至るまでの被告会社の対応

(1) 原告は、症状固定と診断され、労災保険法に基く(ママ)休業保障(ママ)が打ち切られた平成五年一〇月一八日以降も、背部の痛みが回復せず、職場復帰は困難であったが、被告会社は、早急な復職を求め、原告は症状に対する理解を求めるため、被告会社に主治医と面談して欲しいと依頼した。原告が翌平成六年一月一日から、労使協定で認められている一年間の病気欠勤に入る際にも、右期間内に職場復帰の目途が立たなければ、休職制度を利用させることは困難であると説明し、原告に心理的負担を与えた。また被告会社業務課の永田課員(以下「永田」という。)が、原告の症状に疑問を呈したので、改めて主治医の面談を求めたが、岩根リーダーはその必要はないと対応した。

(2) 労使協定に基づく一年間の病気欠勤の期限切れが近くなった平成六年一二月六日、永田より原告に対し、休職手続に必要な書類の連絡とともに、同月二一日までに提出するようにとの指示が為された。翌七日、原告は、休職手続に必要な書類を取りに赴いたが、永田は、同月一二日までに書類を提出するよう求めるとともに、一二日までに提出しなければ休職は認めない、その場合には辞めてもらうとして、体調が不充分なため精神的にも困難を抱えている原告に対し、退職を迫るが如き態度を示した。さらに、同月一二日、原告が休職手続に必要な書類を提出したところ、永田は、記載内容が不充分であるとして受理しなかったうえ、乗務課松田キャビンマネージャー(以下「松田」という。)は、原告に対し、客室乗務員としての復帰計画をたてるよう指示してきた。また、同月二〇日には、被告会社業務課金子主席(以下「金子」という。)は原告に対し、職場復帰に向けての「目標設定シート」のようなものを提出せよ、と指示した。原告としては、今すぐに職場復帰を具体的に見通せるような体調ではなく、まず、客室乗務員としての勤務に耐えうる体力の回復が現時点で何よりも必要な状況である旨説明した。同月二二日には、原告は再度休職手続に必要な書類を提出したが、永田は再び不充分として受理せず、松田は、一月末までに「目標設定シート」を提出せよ、と指示した。いずれについても「確信している」との文言をことさらに入れるよう求めたうえ、復帰計画書に「二年後をめどに復帰可能に努力する」との決意の記載を求めたりしたものである。一二月二九日、原告が三たび休職手続に必要な書類を提出したところ、永田は一時間余りにわたって復帰可能性に疑問を示す等の嫌みを繰り返したうえ、図を書いて背部痛についての説明をするように求めたうえ、やっと一応受理した。そして、三年以内に職場復帰が可能との診断書を提出するように要求した。

(二) 休職中の被告会社の対応

(1) 原告が休職に入った後も、被告会社は、原告の症状を理解しようとせず、いたずらに早急な職場復帰を求める態度に終始し、平成七年一月には、六日、一〇日、一六日と連続して、松田らが職場復帰への詳細な具体的計画の提出を求めたうえ、同年二月二八日には、松田が「医師の治療法が納得できない」、金子が「この計画では復帰は無理、退職を家族と相談したら、」とまで申し向けた。

(2) 平成七年三月一五日、被告会社の社医である鍵谷医師による原告の健康状態に関する問い合わせに対し、「検査では明かな異常を認めず、活動量を徐々に増やしていけば仕事への復帰は十分に可能と考えております。」との原告の主治医である西中医師の回答がなされた。

その後同月三一日、原告は、被告会社に呼び出され、会社において松田、業務課村上リーダー(以下「村上」という。)と面談し、その際、同人らは一方的に休業の必要は消滅した、もう二週間くらいしか待てない、いつ復帰するのか明確にせよと迫った。原告は、まだ職場復帰をすることは困難であったので、もう少し時間が欲しい旨伝えるとともに、四月七日が主治医の診察日となっているので主治医とも相談したい旨返答した。また、被告会社は、復帰訓練が駄目なら退職するという決意を示せと迫り、原告の症状を無視した職場復帰を求めるとともに、暗に退職を求める言動に終止していた。

四月三日夕刻、金子、松田の両名が突然原告の寮室に訪れ、四月九日で診断書が切れ休職の必要はなくなる、そうなると身分は宙ぶらりんになる、会社に来てもらっては困る、等と申し向け退職を決意させようとする言動に終止した。

四月五日には再び前記両名が、原告の寮室を突然訪れ、原告に対し、四月一〇日の復帰訓練を前提とした一方的な話をしたうえ、一〇日以降には休職でなくなるうえ、復帰訓練を受けなければ、会社での身分はなくなる旨の話をまた一方的にしてきた。

四月一〇日午前、原告及び原告代理人高瀬弁護士が、金子、総務課加治屋主席(以下「加治屋」という。)等と面談し、話し合いをもった。その場で、高瀬弁護士より、原告の復職について主治医、被告会社の社医との診断のつき合わせを提案し、被告会社はそれを了解した。また、被告会社の対応は、四月一〇日以降は休職でなくなる、会社での身分はなくなる等の原告本人に対する従前の対応と異なり、原告の症状を無視して、ことさら急いで復職を求めるものではないとして、その態度を変化させた。また、四月一〇日以降の休職の必要性についての主治医の診断書については、被告会社において取り寄せる旨の確認もなされた。ところが、同じ四月一〇日の午後には、金子は原告本人に架電してきたうえ、なぜ、四月一〇日以降の休職の必要性の診断書を自分で持参して説明しないのかと激怒し、午前中の高瀬弁護士に対する対応が全くの仮面であったことを示した。そして、翌四月一一日、産業医と主治医の面談についての原告の承諾書を届けた際にも、被告会社の永田が前記金子と同様の非難を原告に浴びせた。

(三) 復職に至る間の退職強要

(1) 四月二八日に主治医より六月一日より就業可能との就業診断書が提出されると、被告会社は、原告に対し、段階的勤務を求める原告の意向を無視し、いきなり通常勤務を強いる内容の復職開始報告書の提出を求めた。

(2) 被告会社は、原告が休職中であった平成七年五月一七日、出社を命じ、原告が出社すると、松田は、突然「知識テスト」を行い、その場で採点を行うとともに、金子とともに、机をたたいたりしながら、原告に対し、こもごも、「CAとしては失格である。」「適性を欠いている。」等と述べ、復職の断念を迫った。

被告会社は、翌五月一八日に、B6についての理解度チェックをした。そして、五月二二日にも、アナウンスのチェックを実施したうえ、金子、村上が原告と面談し、原告に対し、CAとして働くのは無理、君にはエマ訓を受けさせるまでもない等、復帰者訓練を受けさせない旨主張したうえ、さらに会社は潰れるような厳しい状況であり、原告を働き続けさせるような余裕はない等申し向け、復職を断念し退職するよう求めた。さらに、五月二四日にも前記同様の退職を求める話が松田等よりなされた。そして、五月二五日、三〇日と原告の寮にまで金子、村上、乗務課小寺リーダー(以下「小寺」という。)の三名余りが来訪し、さらにCAとしては無理、として退職を求め続けた。それに対し、原告は、職場復帰するために必要な復帰者訓練を受けることを求め続けた。

(3) 五月三一日には、午後一時三〇分から五時四〇分ころまでの四時間二(ママ)〇分あまり、金子、松田、岩木リーダー(以下「岩木」という。)らが、原告に対し、「能力、適性がない。」「周りにとっても荷物だ。」「あなたは寄生虫よ。」「組織から出ていけ。」「普通は辞表を出すものよ。」等申し向け、右管理職らが原告をとりかこむように机を配置し、時には机をたたいたりするなど高圧的脅迫的態度で原告を責めた。

六月二日、五日には、原告の居住する社員寮に押し掛け、「退職を決断せよ。」「客室乗務員としての能力がない。大人の判断をしろ。」「客室部から出ていけ。」「退職するという方向転換を確認するまで毎日でも寮に行く。」等と述べて、原告に対し退職を強要した。

さらに、六月八日には、原告の実兄に対しても、「客室乗務員をやめていただきたい。会社としては復職は無理というスタンスは変わらない。」などと述べ、親族を通じても原告に対し退職を強要した。六月九日は金子が寮に押し掛け面談を求め、原告が断ると、後ろを追いかける行為に及んだ。六月一五日にも、金子、加治屋が寮を訪れ原告に対し退職強要を続行し続けた。この時両名は、いきなり目の前の机をたたきつけ激怒したり、開けていた窓ガラスを、外に聞こえるから閉めろと怒鳴りつけたりとすさまじい状況であった。

(四) 復職後の退職強要

(1) 原告は、社医の診断を受けて同年七月六日付けで復職したが、被告会社は、原告に対し、復帰者訓練として、エマ訓及びドアトレーナー訓練を受けるように命じ、同年七月六日及び七日の両日、原告は復帰者訓練を受けた。しかしながら、不合格との結果を告げられた。訓練終了の当日である七日には、被告会社大阪空港支店客室部の応接間において、小寺、金子、松田、岩木の四名が午後五時四〇分から九時三〇分頃まで三時間五〇分余りにわたって原告を取り囲み、訓練結果を非難するとともに「決断するとき」「会社はだまされた」「伊丹の恥」「東京の同期の人は、エマ訓の前日に辞めたヨ」「ふつうその段階で辞めていくもの」等と申し向け、その口調は怒鳴り声や桐(ママ)喝をも交えて、原告に対し長時間にわたり退職届を書くよう迫り続けた。

(2) 七月一一日には、「結果について結論出せ」「社員として失格」「一四日以降はなし」「(金子、松田、小寺、岩本が)これは解雇だ、いやこのタイトルは懲戒解雇でいいのでは」「制服ぬげ」「これでよく会社に来れるな」と申し向け、一日中退職の強要や復帰訓練に関する反省文の作成を求め続けた。

原告は、八月一日、二日と実施された二回目の復帰者訓練にも不合格となり、当日の二日の日は、午後一一時まで懲戒免職をほのめかしながらの退職を求める面談が実施され、その後も被告会社は前回同様、報告書の提出を求め、被告会社の気に入らない内容として受領を拒否するという対応を繰り返していた。

(3) 八月七日は、松田、金子、植村、小寺との面談が教室で午後四時より六時三〇分まで二時間半にわたって繰り返され、机をたたくなどの脅迫的言動が為されたのみではなく、原告の周りを右上司四名がぐるぐる回りながら退職を迫るという異様な対応であった。また日付は不明であるが面談が実施された教室内において、机といすを法廷の如く配置し、原告本人を被告人席に座らせ、退職を求めるという異様な対応もあった。

原告は、それでも退職に応じず、被告会社が設定した三回目の復帰者訓練を受けたが、不合格とされ解雇となった。

2  被告会社の主張

(一) 休職から本件解雇に至る経緯

(1) 休職中の原告の状況

客室乗務員は、その資格を維持するため各種の訓練を受ける必要があり、復職ということになれば、復職と同時に訓練を受けることになるため、休職中の客室乗務員は訓練に備えて休職中においても知識・技量の維持、研鑽に務(ママ)めるのが通常である。たとえば、客室乗務員には、機内保安業務、緊急対策、最小客室乗務員適用時の運用、機器の操作、機内アナウンス等々の取扱いが記載されたマニュアルとして、「キャビンアテンタ(ママ)ントハンドブックⅠ・Ⅱ」(以下、ハンドブックという)が各人に貸与されているが、このハンドブックは、新機種が導入されたとき等には、内容が変更されるので、改定の都度差し換える必要がある。改定はかなり頻繁に行なわれ、また各人に新知識を周知させる意味もあり、ハンドブックの差し換えは各人に行なわせている。休職中の者にも改定分が送付され、休職中の客室乗務員はその差し換えを自ら行い、復職に備えてこのマニュアルの習熟に努めているのである。ところが、原告は差し換え作業をやっていないとのことであったので、平成七年一月一〇日、原告が来社の際、訓練テキストの貸出し等をした他、手間のかかる差換作業を省く為、手持ちの旧ハンドブックを既に差換済の退職者返却分と交換することを伝えた。ところが、平成七年一月三一日、原告のハンドブックと退職者の返却分とを交換しようとしたところ、原告は、被告会社内の自分のロッカーから自分のハンドブックを持って来て、これを交換した。すなわち、原告はハンドブックを被告会社のロッカーに放置したままにしておリ(ママ)、被告会社が原告に逐次送付していた改訂分について約四年間もの間全く差し換えを行っておらず、全く勉強の意欲がなかったのである。このため二月二八日、被告会社に来社した原告に対し、リハビリも兼ね、週一日は被告会社に来て、ハンドブックを読み、疑問点等について他の客室乗務員に積極的に質問してはどうかとの話をし、復帰に向けての努力を促した。

(2) 復職に至る経緯

原告は平成三年四月一八日以降休業を続けていたが、原告が休職に入るにあたり、原告の病状が本人持参の診断書では休業に足るものか不明であった為、鍵谷医師は、平成六年一二月、原告の主治医である西中医師へ原告の健康状況を問い合わせる手紙を出しており、この返事が平成七年三月一五日に至ってようやく提出された。この書面の内容は「…検査では明らかな異常を認めず、活動量を徐々に増やしていけば仕事への復帰は十分に可能と考えております…」というものであり、鍵谷医師の判断では、休業の必要性は消滅したとのことであった。そこで同年三月一〇日付の西中医師の二か月の自宅療養が必要と考えるとの診断書の期限が切れる同年四月一〇日に原告の復職の可能性があると被告会社は考え、前述のとおり、原告が復職及び訓練に向けての準備を全く行っていない状況から、原告に対しその準備をはじめるよう申し渡した。この復職に向けての準備のことは、それ以前から、繰り返し原告に伝えていることであリ、たとえば、被告会社大阪空港支店客室都(ママ)には、アシスタント・マネージャー(AM)、グルーブ(ママ)・スーパ(ママ)ハイザー(GS)といった資格の客室乗務員が、日々の報告書の整理、調整やスタンバイ・ミーテイ(ママ)ングの調整のため、交代で各一名は地上勤務についており、原告に勉強をする気があるのであれば、被告会社に出向いてこれらの者に質問をするなリ(ママ)、機内アナウンスのチェックをしてもらうことが可能であるが、原告はこれらのことを積極的に行おうとはしなかった。すなわち、休職中といっても、診断書の提出のため、社医の診断を仰ぐため、あるいは客室乗務員への連絡事項が投函されている各人のメールボックスを見るため等々、被告会社に出向くことは、しばしばあることであり、このような機会にGS、AMの協力を得て復職に向けての準備を行うことは十分にできることなのである。そして、前述のとおり、復職ということになれば、同日中には訓練を受けることになり、これに不合格となれば、乗務はできないのであるから、四月一〇日に復職の可能性があるのであれば、三月中には訓練合格のための十分な準備が必要なのである。そこで、三月三一日、被告会社に出向いた原告に対し、医学的に休業が必要な状態でなくなれば復帰ということになり、知識を回復するための猶予期間というのはないのであるから、復帰準備をしなければならないことを充分に認識しておくことを伝え、あわせて当日地上勤務であった前田AMが、ハンドブックの差し替えを手伝ったが、前田AMが、マニュアルについての質問をしたところ、原告の知識はゼロに等しい、復帰困難という状況であった。このため、四月三日には、被告会社に出社しないという原告のため、被告会社はわざわざ寮にまで赴き、原告に対して復職に向けて真剣に取り組むことを強く促したが、原告の反応はほとんどなく、また、訓練合格に向けての姿勢も示されなかった。そして、四月九日、被告会社から原告に電話をしたところ、「自分としては即復帰ということは自信がない…」等の返事があり、四月一〇日の復帰は延期された。その後四月二八日になって、四月一〇日に遡って休業が必要との診断書が提出された。そして同日提出された、もう一通の診断書においては、「六月一日よリ(ママ)就業可能」との診断がなされていた。また、五月二一日には、原告からも「勤務に関しては勤務パターンに基づき休むことのない様他のCAと同様に通常勤務を行って行く自信は充分にあります。」との「復職にあたって」と題する復職願もようやく提出されるに至った。しかし、被告会社の社医である水島整形外科医の診察で、原告がリハビリを怠っていたため首の動きが不十分ということになり、六月一日以降なお三週間のリハビリを行うこととし、結局七月六日から復職することになったのである。

(3) 復職後訓練実施前の被告会社の指導、援助

原告は平成七年七月六日から復職となり、復帰者訓練を受けることとなったが、訓練に合格できるだけの知識・技量を原告が有していないこと及び訓練合格に向けての積極性もなかった。そこで、被告会社は、原告に対し、機内アナウンスのチェック等の指導・援助を行ったが、また、これらのことは、被告会社の指示を待つまでもなく、休職中の容(ママ)室乗務員が自ら当然のこととして行っていることであり、被告会社にいくら指導されても努力をしない原告のような客室乗務員はかつて存在しなかった。平成七年五月一七日に原告に被告会社への出社を命じ、客室部において、あらかじめ通知していた理解度チェックを行った。この五月一七日に行った理解度チェックの結果は合格点には達せず、五月一八日に実施したB6等についての理解度チェックの結果も芳しくなく、原告に対して猛勉強の必要性を通知した。このような結果から、被告会社は原告には復帰して客室乗務員としての乗務を行う知識・技両(ママ)、能力はないと判断し、原告に本当に復帰する気があるのかと厳しく問いただしたが、原告は復帰者訓練を受けたいとのことであり、最終的に、被告会社として、原告に復帰者訓練実施に向け検討するが、現状の原告の知識・技両(ママ)・能力は劣るといわざるを得ず、そのための指導援助が必要である旨を伝えた。そして、六月一五日、被告会社は。(ママ)原告に来社するよう伝えたが、原告はこれを拒否したため、被告会社の方で寮に赴き、復帰訓練前に原告のための特別カリキュラムを作り、これを受けて勉強した後、復帰訓練を受けた方が良いとの話をしたが、原告は「自分のウイーク(弱い所)な点はわかっていますので、自分でリハビリをして、自分で勉強しますから」ということで被告会社の提案は受け入ら(ママ)れなかった。その後、六月二九日には、原告に復職内示の電話連絡をしたが、連絡がつかず留守番電話に被告会社に折り返し電話をする旨メッセージを入れるも原告からは連絡がなかったため、午後五時頃寮長に電話連絡をし、原告の在室を確認して貰ったところ、直後原告からの電話があり、当方から折り返し電話する旨答えたが、一〇分後電話をするも留守番電話となっており、原告は電話には出なかった。また、午後六時四〇分に寮生に在室確認を依頼したところ、「不在」の表示ということであったので、午後七時五〇分寮に赴き、「七月六日が復帰者訓練の日となったこと、復帰手続のため六月三〇日に来社すること」とのメモをメイルボックスに入れ、名札に「メイルボックスを見るように」とのメモを刺し、かつ留守番電話にもメッセージを入れておいた。しかるに、原告からは何の連絡もなく、結局、再び、留守番電話にメッセージを入れたところ、ようやく原告から電話連絡があり、直接原告に復帰者訓練の予定を伝えることができたのである。

(4) 復帰者訓練以降

以上の経過をたどり、平成七年七月六日、七日と復帰訓練を東京の客室本部教育訓練部において実施したが、結果は不合格であった。そこで、七月七日、右訓練について、訓練の具体的項目と各項目についての原告の自己診断、所感、反省点について報告書を提出するよう指示するも、七月九日に提出された報告書は、鉛筆書のメモにすぎなかったため、再度訓練を受けるためにも、きちんとした報告書を提出するよう指示し、その後七月一一日にもこの旨の指示をしたが、報告書は提出されなかった。再々度七月一四日に原告に報告書の提出を求めたところ、提出されたのは、「七月六日、七日の連日、体調が不完全なため不十分な点があったと思いますが、体調を完全に治して再度きちっとした結果を出したいと思いますのでよろしくお願い致します。」との何の反省も問題点の理解もない内容の報告書であった。しかも、右両日とも、原告は、全く体調不調を訴えていなかったため、金子から、原告に対して、<1>体調不調を理由としているが、当日はそのようなことは全く言っていないこと、<2>報告書なのだから、楷書できちんと書くこと、<3>略語は使用しないこと、<4>訓練内容と不足点、改善方法について記載することを注意、指示したが、原告は「これでお願いします。後は弁護士に聞いて下さい」との態度であった。結局、当日は、小寺から原告に対し、口頭で、報告書の提出指示に反したこと、指示に対する原告の不当な態度及び従来から注意しているとおり業務姿勢に積極性が見られないことについて、厳重な注意を行った。旧盆、年末年始等の時期は旅客の多い時期であり、原告に再訓練を実施するとすれば、遅くとも八月初めまでに実施しなければ、再訓練の時期が九月以降になる状況にあった。そこで、七月二四日、原告に対し、「復帰者訓練不合格後に提出した報告において、明確に不合格の表現をいれること。不合格であるから、再訓練を行うのであり、そのことの認識が本人になければ再訓練を行う意味がないこと」「復帰者訓煉(ママ)を二回も実施することは被告会社において前例のないことであるが、二回目は必ず合格するという本人の表明があれば、教育訓練部長宛の再訓練実施依頼を行う」旨伝え、八月一日、二日の日程で復帰者訓練を実施することを伝えた。また、七月二五日から同月三一日までは、午前中は自習、午後は地上勤務のAM等により指導を行うことも併せて伝え、原告からもラストチャンスであることを認識しているとの発言があった。そして、右同日、原告から上申書が提出されたが、その際、本人との面談の中で確認した「本人も第二回目の実施を十分認識し、与えられたラストチャンスであると考えている。万一不合格になった場合については、その後の処置については客室部長に一任する。」との文書をその上申書に記入し、原告の了解、捺印を得た。以降、八月一日、二日の訓練まで、日本語及び英語による機内アナウンス、「接遇」(空酔い、お茶こぼし、クリーニング・クーポン、だぶり席等々)、ドア・トレーナー、緊急時の援助者選出(B6の緊急着陸、着水、B6の緊急着水等々)等についての教育指導を行った上で、二回目の復帰者訓練に臨んだのであるが、原告以外にこのような指導を受けた者はいない。平成七年八月一日、二日と復帰者訓練を東京客室本部教育訓練部において実施したが、この結果も不合格であった。翌八月三日、原告は体調不良という理由で欠勤したが、八月四日、原告は「八月一日から二日にかけて、復職者訓練を再度受けさせて頂いたが、不合格の評価を頂きました。主自医のOK以降、復職についての話合いと並行して復職者訓練にむけての準備をしてきました。思った様な結果が出せず残念です。尚自分としてはさらに不足点を補って変わらずCAとしてかえりたい。」との書面を持参、訓練後の報告書の体裁をなしていないので、前回と同様の形で提出するよう指示するも無言、無視という態度であった。以降、再三にわたる訓練報告書の提出命令に対しても、まともな報告書は提出されなかった。しかし、被告会社は、九月二二日、被告会社客室本部で原告の知識・技両(ママ)審査実施についての審査会議を開催し、第三回目の訓練を実施することを決定し、九月二七日、原告に対し「七月六、七日、八月一、二日と二回にわたって行われた復帰者訓練については客室乗務員として乗務可能なレベルに達していないと判断しています。客室本部長の諮問に基づき、客室本部として、あなたの今後の取扱について審議したが、その結果今一度復帰者訓練を行うことにしました。被告会社として再び復帰に向けたプログラムを作成し必要であれば実機に近い環境も使えるように考えていますので、あなたも復帰に向けて全力を注いで下さい。そのためにも訓練迄にあなたが日々勉強した内容を把握したいと考えていますので、一日の学習終了後、レポートアップをして下さい。訓練日程と内容の詳細については近々連絡します。」との通知を行い、以降、九月二八日から一〇月一八日までの聞(ママ)に、訓練合格に向けての指導、援助を行ったところである。以上の経過で、原告は第三回目の訓練に臨んだのであり、被告会社としては原告の訓練合格に向けて多大の指導、援助を行っているのである。平成七年一〇月一九日、二〇日と復帰者訓練を東京の客室本部教育訓練部において実施したが、「タイガー・テイルの確認漏れ。L3の行動ができていない。」「インフレーションハンドルを引くことをせず、他のドアへ旅客を誘導した」等、到底客室乗務員として、乗客の安全を任せられる水準に達せず、不合格となったものである。以上の結果、平成七年一二月一九目(ママ)に、原告に対し退職を勧告し、同月二五日までに意思表示をすることを伝えたが、原告から退職の意思表示はなく、平成八年一月一九日再度退職勧告を行ったが、退職の意思表示はなく、一月二四日に至り、二月末日をもって解雇する旨の通知をしたものである。

(二) 退職強要の不存在

(1) 原告は、平成五年一〇月頃から執拗に退職勧奨を開始したと主張するが、このような事実はない。そもそもこの時期原告は、被告会社にほとんど顔を見せていないし、出てきた場合でも、メモを残すだけで、担当者等とは面談しておらず、退職勧奨をすることは不可能である。

(2) 原告は、また、早急な職場復帰を求められたと主張するが、原告が早急な職場復帰としているのは、平成六年一〇月に入って、岩根リーダーが、「調子が良いのであれば診断書を郵送せずに、また会社からのメイル物もあるのだから部に来たらどうか」との話であり、原告は、この程度のことをとらえて、「早急な職場復帰」としているにすぎない。

(3) 原告の主治医の面談を会社に求めたとの主張についても、このような事実は存在しない。原告が、本当に自分の症状を被告会社に理解してもらおうとしていたのであれば、詳細な診断書を提出すればいいことであって、平成五年一一月一七日以降平成六年一月一四日までの診断書は、単に「背部痛」という診断名の診断書にすぎない。また、原告は、西中医師に、会社の方に原告の症状の説明をすることの了解を貰っていたとも主張するが、西中医師は、被告会社が、原告の症状について説明を求めた際には、原告の承諾書を要求しているのである。原告が西中医師に自己の症状について会社に説明して貰うように依頼し、同医師がこれを承諾していたのであれば、わざわざ原告の承諾書を求めることは通常は考えられないことである。

(4) 休職の手続をして貰えなかったとの主張も、これも全く事実に反する。休職のための手続は、原告も認めるとおり、被告会社の永田の方から原告に連絡をしたものである。被告会社の方で、休職を認めるつもりがないのであれば、このような連絡をする必要もないし、書類の提出も求める必要はない。事実は、被告会社からの休職手続のために出社するようにとの連絡に、原告が応えようとしなかったのであり、また休職に必要な書類をなかなか提出しなかったのである(休職に必要な「休職報告書、病状経緯書は後日提出といたしたい」となっているのは、原告が書類を提出しなかったためである。)。この必要書類の不提出、不備の指摘を受けたことをもって、原告は「何度も何度もお願いをし」と主張しているのであって、事態を全く理解していない。原告は、休職の適用を望んでいたのではなく、むしろ、休職にはいることが退職につながると勝手に想像していたようであり、「貴社における石富氏の休職の扱いについて説明して頂ければ幸甚に存じます」との平成六年八月一九日付内容証明郵便の後、一〇月五日には、被告会社に高瀬弁護士が来社し、就業規則の休業・休職の説明等を求めた。同弁護士は、原告から、欠勤期間がまもなく一年になり、辞めさせられるのではないかと相談され、このことの確認に来たようであったが、原告のケースでは、休職期間は三年であることを確認して安心して帰ったのである。にもかかわらず、原告は、休職に必要な社医の診断についても、「なぜ社医を受けるのか。どうしてそのような必要があるのか、弁護士に聞いてから受けさせてもらいます」と抵抗し、結局、弁護士に連絡して、諭されたのか、社医の診断を受け、その結果、休職に入っているのであって、原告の主張は事実とは全く正反対である。

(5) 原告は、あたかも復職を希望していたかのように主張する。しかし、事実はできる限り復職を引き延ばそうとしていたものである。まず、原告の主治医である西中医師は、平成七年三月二一日(手紙の日付)の時点で、「最近行いましたtibial somatosensory evoked Potentialの検査では明らかな異常は認めず、活動量を徐々に増やしていけば、仕事への復帰は十分に可能と考えております」と判断しており、このため、被告会社においては、原告に対し、西中医師の診断書の期限の切れる四月一〇日には、復職の可能性があることを伝え、復帰に向けての準備を始めるよう申し渡していたのであるが、原告は積極的に取り組もうとしなかったのである。

(6) 復帰者訓練後の勤務について、原告は、短期間でも最小限の段階的な勤務を求めたが、そのような要望は無視されたと主張する。その趣旨は、地上勤務で半日勤務等を経験し、徐々に復職に持って行こうということであろうが、この点も、原告は復職の意義を全く理解していないといわざるを得ない。すなわち、客室乗務員の復職の取扱は、次のとおりであり、徐々に復帰ということはないのである。このことは、原告及び原告代理人にも伝えていることである。<1>客室乗務員は、乗務可能との前提で復帰するものであり、地上勤務は原則として予定していない。地上の事務職であれば、松葉杖のままでも事務作業は可能であろうが、客室乗務員の場合、松葉杖をついての乗務は不可能であり、また乗務の途中で勤務を終了することもできないのである。したがって、休職期間が長くなっても、乗務可能でなければ復職できず、復職できるということは直ちに乗務可能な状態ということなのである。<2>したがって、復職すれば、乗務をするために、復帰者訓練に合格する必要がある。<3>合格により乗務ができるようになれば、宿泊勤務を外すといった軽減勤務を配慮するが、あくまで、これは合格後のことである。

(7) 原告は、弁護士名の平成六年八月一九日付内容証明郵便を会社に送付し、その後も、会社との面談において、頻繁に「弁護士に聞いて下さい」「弁護士に確認しないと話せません」等の発言を繰り返し、現に社内から弁護士に直接電話をし、また被告会社との面談に弁護士を同席させてもいる。

さらに、大量のファクシミリが本訴代理人である高瀬弁護士宛に送信されており、頻繁に相談を行っていたことが窺われる。このような状況で、被告会社が原告に退職を強要すれば、当然これに対して、弁護士から抗議があるはずであるが、このような抗議は一切ない。また、仮に退職届を提出させることができたとしても、退職の意思表示の無効を主張され、訴えを提起されることは容易に推測し得ることであって、退職を強要するはずがないのである。これらのことを考えれば、原告の主張は明らかに事実に反する。

八  争点2(二)について

1  原告の主張

被告会社の原告に対する退職強要は、執拗で長期間にわたり、その退職を求める際の言葉は原告の人格を否定するような内容であるうえ、その態様も机をたたく、激怒、足げり、まわりを上司で取り囲む等原告の自由意思を封殺するに十分な脅迫的、威圧的、暴力的と評価しうるものであって、明らかに違法性を帯びているものである。

2  被告会社の主張

前述のとおり、本件解雇は正当なものであって、本件解雇によって原告が精神的苦痛を被ったとしても、不法行為に該当するものではない。

また、本件において退職強要の事実がないことは前述のとおりであるが、原告は退職を強要されたと主張しながら、退職に応じているわけではない。強迫等により退職の意思表示が行われた場合にその意思表示を取り消し得ることは理解できるが、そもそも原告は退職をしていないのであるから、その取消あるいは無効は問題となるものではない。およそ、退職に応じるかどうかは労働者の自由であるが、一方、使用者が労働者に対し退職を勧奨することは何ら禁止されているものでもなく、何ら違法なものでもない。したがって、原告の右主張は主張自体失当である。

九  争点2(三)について

1  原告の主張

人はあらゆる場面で、自己の人格的価値を尊重される権利を有するが、職場においては、労働者は人間として尊重され、その人格をいわれない理由で否定されることのない権利を有する。しかるに、被告会社は原告に対して、前記の通り、様々な退職強要を繰り返したあげく解雇したものであって、このような退職強要及び解雇は原告の人格に対する侵害であり、原告はかかる人格権の侵害により著しい精神的苦痛を蒙ったものである。又、原告は、解雇を言い渡され、二〇数年来の職場を失い、その結果、本件裁判を提起することを余儀なくされた。以上の通り、原告の受けた身体的、精神的苦痛は計り知れず、それを金銭に評価することは困難であるが、原告が蒙った慰謝料として、少なくとも、一〇〇〇万円を下らない。被告会社による原告に対する人格侵害と相当因果関係があり、原告が被告会社に請求しうる弁護士費用として、一〇〇万円を相当とする。

よって、原告は被告会社に対して、請求の趣旨記載の通り、乗務員としての地位の確認、賃金等請求並びに人格侵害による不法行為に基づき一一〇〇万円とこれに対する本訴上(ママ)送達の日の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

2  被告会社の主張

原告の主張は争う。

第三当裁判所の判断

一  訴えの利益について

本件において、原告は、被告会社に対し、従業員たる地位の確認を求めるとともに、既発生部分及び将来分の賃金を請求するところ、右将来分の賃金の請求のうち、本判決確定後に支払期が到来するものについては、少なくとも現段階において、原告の労務提供の程度等賃金支払の前提となる諸事情が確定していない。従って、右本判決確定後の賃金支払請求部分については訴えの利益がない。

二  本件解雇の効力について

1  争点1(一)について

(一) 被告会社は、原告が客室乗務員として雇用された者であるところ、休職期間満了後、その業務である緊急保安要員としての業務遂行能力において不適格であり、かつ客室乗務員としての通常の業務の遂行も不可能な状態であるので、就業規則の解雇事由である「労働能力の著しく低下したとき」及びこれらに「準じる程度のやむを得ない理由があるとき」に該当すると主張する。

労働者がその職種や業務内容を限定して雇用された者であるときは、労働者がその業務を遂行できなくなり、現実に配置可能な部所(ママ)が存在しないならば、労働者は債務の本旨に従った履行の提供ができないわけであるから、これが解雇事由となることはやむを得ないところである。そして、客室乗務員としての業務は、通常時における業務のほか、緊急時における措置、保安業務、救急看護措置等の業務を含むものであって、高度の能力を要求される業務であり、緊急時における措置等の適否が、万が一の場合には、人命に直結するものであることからすると、かかる部分における業務遂行能力は、これをおろそかにはできず、これを欠いたままで乗務させることはできないものといわなければならない。しかしながら、労働者が休業又は休職の直後においては、従前の業務に復帰させることができないとしても、労働者に基本的な労働能力に低下がなく、復帰不能な事情が休職中の機械設備の変化等によって具体的な業務を担当する知識に欠けるというような、休業又は休職にともなう一時的なもので、短期間に従前の業務に復帰可能な状態になり得る場合には、労働者が債務の本旨に従った履行の提供ができないということはできず、右就業規則が規定する解雇事由もかかる趣旨のものと解すべきである。むろん、使用者は、復職後の労働者に賃金を支払う以上、これに対応する労働の提供を要求できるものであるが、直ちに従前業務に復帰ができない場合でも、比較的短期間で復帰することが可能である場合には、休業又は休職に至る事情、使用者の規模、業種、労働者の配置等の実情から見て、短期間の復帰準備時間を提供したり、教育的措置をとるなどが信義則上求められるというべきで、このような信義則上の手段をとらずに、解雇することはできないというべきである。

(二) 原告が客室乗務員として雇用された者であることは争いがないので、以下、原告の労働能力が著しく低下したか否かについて検討する。

(1) 原告は、昭和四八年一二月から平成三年四月まで、客室乗務員として勤務し、一八年を超える経験年数を有し、昭和五〇年一月にはファースト・スチュワーデスの資格を、昭和五九年にはシニアキャビンアテンダント三級を取得していたものであるが、平成三年四月一八日、空港への移動中、乗車していたタクシーがトラックに追突されたことにより、頸部等を負傷した。当初の診断は、頸部・腰部痛、頸椎症であったが、のち頸椎不安定症、頸椎椎間板ヘルニアと診断され、平成四年七月には前方固定術を受け、平成五年一〇月一八日症状固定したが、その後、欠勤し、次いで休職となり、平成七年四月には、同年六月から就業可能との診断書が提出され、同年七月復職となった。平成七年七月まで、休業・休職により四年余り職を離れ、同月復職するに当たって復帰者訓練を受けることとなったものである。右障害については、労働者災害補償保険法による障害等級として九級と認定されたが、原告はこれに審査請求し、その結果、右認定は取り消され、平成七年一一月に八級と認定された。また、自動車損害賠償責任保険における後遺障害等級は、平成八年九月に八級と認定されている(以上、<証拠略>、弁論の全趣旨)。

(2) 原告は、復帰者訓練としての三回のエマ訓等において、客室乗務員役又は主客室乗務員役を担当し、右三回の訓練における筆記による知識確認はいずれも合格基準に達しているとされたが、知識確認以外については、三回とも不合格と判定された。

その第一回のエマ訓等の第一日目では、全般に声が小さく自信のない態度に終始し、簡易人工呼吸器の操作及び心臓マッサージが適切にできず、緊急事態を想定した模擬演習では、自らの救命胴衣着用を忘れ、また旅客への禁煙の徹底を忘れ、他のCAへの指示とアナウンスができず、緊急着陸時の援助者の選出及び援助者への説明ができず、ドア操作においては、区分2では、外部状況の確認を忘れ、機外脱出用のスライドが膨らまない場合の措置ができず、区分1では、右スライドが膨らまない場合に手動で膨らませるためのインフレーションハンドルを引かずに、旅客に海に跳び込むよう指示するという結果であった。第二日目は、ドア操作において、通常時、緊急時とも不十分で、緊急時のドア操作においては、外部状況の確認が不確実で、脱出可能な状況にあるのに脱出不可として誘導した。

また、接客、サービス業務においては、アナウンスを忘れたり、英語による適切なアナウンスができず、サービスの割り振りを充分に理解していない部分が存在した。

第二回のエマ訓等においては、簡易人工呼吸器の操作及び心臓マッサージの方法が効果的でなく、模擬演習では、旅客に対する衝撃防止姿勢の説明が不十分であり、脱出用のボートのないドアを脱出口として指示し、緊急着陸時の援助者への説明が確実にできず、ドア操作においては、エスケープスライドバックの操作手順を間違え、ドア及び翼上非常口の実習では、通常時の操作では、一部のドアで隙間ができていないかどうかの確認をせず、緊急時の操作では、セレクターレバーの確認をせず、機外脱出用のスライドが膨らんでいるかどうかの判断を誤ったし、インフレーションハンドルの操作に不備があった。

第三回のエマ訓においては、緊急看護措置は問題なく、模擬演習において、タイガー・テイルの確認を忘れ、機外脱出用のスライドが膨らまない場合のインフレーションハンドルを引かずに、旅客を他のドアに誘導し、また、夜間の設定であるにもかかわらず、フラッシュライトを使わずにキャビン状況を確認した。CAブリーフィングで想定を二度間違え、ドアトレーニングにおいて、脱出用スライドが膨らまない想定でインフレーションハンドルを引かずに旅客を脱出させた。ドア及び翼上非常口の実習では、旅客のパニックコントロールを実施せず、EVACを確認せずにドア操作を実施し、脱出誘導中にライフベストの着用を指示したり、旅客がボートに乗込んでいる途中に遠くに逃げなさいと指示したり、確認項目の表現に不適切なものが目立った。(以上、<証拠・人証略>)

(3) 原告本人は、三回のエマ訓等について、概ね間違えずにできた旨述べるところであるが、その根拠は、訓練中教官から指摘を受けていないとか、実際に行おうとしたとき、その前に教官から指摘されてしまったというに過ぎず、前掲各証拠に照らして採用できず、他に、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三) 以上に鑑みるに、三回のエマ訓等の結果では、筆記による知識確認の点は問題ないものの、模擬訓練においては、客室乗務員としての接客、サービス業務等の通常業務においても、アナウンスが十分にできないなどの部分があり、保安要員としての業務、特に緊急時の旅客の誘導やドア操作について不適切な部分が多く存在したということができる。これからすれば、原告を直ちに客室乗務員、殊に客室乗務員として乗務させることができるか否かについては消極的な回答を出さざるを得ないところである。

しかしながら、原告は、過去に一八年におよび客室乗務員として勤務し、その経歴に応じた資格も取得してきた者で、休業及び休職となった原因は交通事故による頸椎不安定症、頸椎椎間板ヘルニア損傷等であり、筆記による知識確認の点に問題がなかったように知的能力の部分に低下があった訳ではなく、運動能力についても、背部痛、左下肢に不全麻痺等を訴えて後遺障害等級八級と認定されているものの、業務に支障のあるものではなく、医師の診断に基づいて復職となったもので、右の復帰者訓練の結果は、主に、原告の休業及び休職中の四年間に航空機やその設備機器に変化があり、原告がこれらに対する知識の習得をしなかったことに原因するものというべきである。そうであれば、原告には、基本的な能力としては、その低下があった訳ではなく、具体的な、航空機に対応した能力が十分でなかったというに尽きる。なお、客室乗務員としての接客、サービス業務等の通常業務においても、アナウンスが十分にできないなどの部分があったが、これはそのテストの実施方法に問題がなかったわけでもないし、原告の経歴を考慮すれば僅かの準備によって業務可能となると予想されるものであり、客室乗務員として復帰するについて障害となるほどのものではない。そして、右のエマ訓等の結果についても、第一回目については、到底合格させることのできない結果といっていいが、三回目の訓練が終わるころには、その指摘される数も減少し、内容も改善され、最終的に緊急時のドア操作を除き、一定度の水準に達したとされている(<証拠略>)。緊急時の措置については、三回目に至っても、タイガー・テイルの確認、インフレーションハンドルの操作、旅客脱出の誘導等について充分になしえないところは問題であるが、これらは航空機の機種やその位置によって異なる操作手順の問題であって、ドアの位置関係やドア設備の機能等の知識があれば足りるもので、特別の専門的知識が要求されるものではないから、右のように基本的な能力自体は従前と変わらないとすれば、これを原告が短期間で習得することは可能というべきである。

してみれば、本件において、原告には、就業規則の解雇事由である「労働能力の著しく低下したとき」に該当するような著しい労働能力の低下は認められないし、また、就業規則が規定する解雇事由に「準じる程度のやむを得ない理由があるとき」に該当する事由もこれを認めることはできない。

(四) 以上によれば、本件解雇は就業規則に規定する解雇事由に該当しないにも関わらずなされたものであって、合理的な理由がなく、解雇権の濫用として無効というべきである。

2  未払賃金について

原告は被告会社から、、毎月二五日限り訴状添付の別紙目録記載(1)の月例賃金を受け取っていた(<証拠略>及び弁論の全趣旨)。他方原告は、平成八年六月には臨時給与の夏期一時金として別紙目録記載(2)の金員を受け取る予定であったとするが、これを認めるに足りる証拠はない。

三  不法行為の成否について

1  争点2(一)、(二)について

証拠(特に掲記する他は、<証拠・人証略>)、前提事実及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一) 原告は、平成三年四月一八日に労災事故に遭った。原告と同時に負傷した同僚二名は一か月あまりで復職したが、原告の回復は思わしくなかった。

原告の回復が事故時の他の同乗者と比較して遅れていることなどから、事故を扱っている保険会社からは、原告の症状について疑念が出されていた(<証拠略>)。

平成五年一〇月一八日には、原告は、症状固定と診断され、労災保険法に基く(ママ)休業補償は打ち切られたものの、背部の痛みが回復せず、「背部痛」との診断書を被告会社に提出し(<証拠略>)、同年一二月まで有給休暇を消化し、その後平成七年一月から一年間の病気欠勤となった。

平成六年八月一九日、原告代理人高瀬弁護士等から、原告の労災事故に関する法律的処理について受任した旨の通知が被告会社に対してなされた(<証拠略>)。このころ、原告の健康状態に疑念を持っていた金子が、原告に服用している薬の内容等その治療状況を尋ねたりしたが、原告は明確には答えず「弁護士に聞いてください。」等の態度であった。

(二) 平成六年一〇月ころ、原告から最近調子がよく出歩く回数も増えているという話があり、被告会社の業務課の岩根リーダーが、原告に「調子がよいのであれば診断書を郵送せずに、また会社からの配布物等もあるので、リハビリもかねて職場に顔を出してはどうか」と提案したが、原告は「そうします。」と返答するのみで現実には出社しなかった。

同年一二月ころ、一年間の病気欠勤が終了するため、休職に入る手続きをしなければならないことから、永田が、原告に対し手続きに必要な書類を一二日までに提出するように求め、同日松田及び金子は、原告に対し、客室乗務員としての復帰計画をたてるように指示した。また原告が提出してきた書類に不備があったことから、休職手続きは進めるものの、その再提出を求め、同月二二日にも治療経過が異なるとして訂正を求め、同月二九日にこれを受理した。他方、被告会社の社医である鍵谷医師は、原告の症状を確認するため、原告の主治医であった西中医師に問い合わせを行った(<証拠略>)。

(三) 平成七年一月に入り、当初の出社予定の同月六日、同日を延期した同月九日のいずれもが体調不良として原告は出社せず、同月一〇日に出社した原告は松田ら被告会社の管理職と面談した。この日、松田らが原告に職場復帰への詳細な具体的計画の提出を求め、手持ちのハンドブックを退職者返却分と交換することを伝えた。

同年二月二八日に、原告が提出した復帰計画について、金子が、原告の提出した計画では復帰は無理であると述べ、リハビリもかねて週一回は被告会社に来て、ハンドブックを読むなり、疑問点を他の客室乗務員に聞くなりしてはどうかと話をしたが、原告はこれに応じなかった。

同年三月一五日、西中医師よりの「最近の検査では明らかな異常は認められず、活動量を徐々に増やしていけば、仕事への復帰は充分に可能」との連絡を受け(<証拠略>)、その後金子、原告が鍵谷医師と面談した。同医師の休業理由は消滅したとの判断に基づき、被告会社は、すでに提出されている三月一〇日付けの西中医師の「一か月の自宅療養が必要」との診断書(<証拠略>)の期限のきれる同年四月一〇日に原告の復職がありうると判断した。

このため、同年三月三一日には、原告、村上、松田、永田が面談し、復帰となれば、エマ訓を経て即乗務となるのであるから、復職に向けての準備が必要であると伝え、また「医師から略治という診断が出たが、原告自身の復帰に向けた意欲、気持ち等を聞かせて欲しい」と告げた。しかしこのとき原告はリハビリにさらに時間が欲しいなど復帰について消極的な姿勢を示し、同月七日が主治医の診察日なので、主治医とも相談したい旨答えた。またハンドブックを交換しようとしたところ、原告はこれを自分のロッカーから持って来て、松田が原告の右ハンドブックの差し替えを手伝った。このような状態をみて金子は原告の客室乗務員としての知識、能力に疑念を抱いた。

三月三一日の面談において、同年四月三日に準備状況の確認のため原告が出社することになっていたものの、当日原告から出社できないとの連絡が入ったため、同日夕刻、松田、金子が原告の寮に赴き原告と面談し、四月一〇日以降休職の必要性はなくなり、訓練を受けなければ、身分が宙ぶらりんとなって会社に来てもらっても困るなどと述べた。

この面談で原告の復職の意思が確認できなかったとして、被告会社は原告について四月一〇日付の復職、エマ訓の実施という事務手続きをとらなかった。

同月五日、松田が原告に「先日の話の続きをしたいから」といって、出社を促し、原告がすぐに返事をしないことから再度電話をして、「出社しないならこちらから寮に行く。」と述べて、寮に赴き原告と面談し、訓練を受けなければ会社での身分はなくなるなどと述べた。

四月一〇日、原告、原告代理人、金子、加治屋が面談した結果、原告の復職について主治医と社医との診断をつきあわせることになり、四月一〇日以降の主治医の見解を、被告会社が確認することになった。このため、金子が西中医師に連絡をとったところ、原告本人の承諾書をとって欲しいといわれたため、加治屋を通じてその旨を原告代理人に伝えたが返答がなく、金子が直接寮の原告に架電したが、原告は電話に出なかった。このため金子が寮長に確認したところ、在寮しているとのことであったことから、折り返し被告会社へ連絡するように伝え、原告から電話があったので右承諾書を提出するように伝えた。このとき金子は些細な連絡にも、時間がかかる原告の対応等について原告を非難した。原告は、右承諾書を翌一一日持参した(<証拠略>)。

その後四月二八日に主治医より四月一〇日より五月三一日までの休業が必要との診断書(<証拠略>)と六月一日より就業可能との診断書(<証拠略>)が提出された。

四月二八日、原告は被告会社から「復職願い」の提出及び社医の診断を受けるように指示され、五月二日社医の診断を受けたところ、整形の社医の診断も受けるように指示された。また同日被告会社より「復職開始報告書」を五月一二日までに提出することと復帰者訓練が六月一日の予定であるとの連絡を受けた。

五月一〇日、原告は、勤務について、他のCAと同様の勤務が可能であること、休職事由による欠勤をしないことを内容とするように「復職願い」の書き直しを命ぜられ、翌一一日も同様に訂正を求め、翌一二日「復職にあたって」と題する右書面を提出した(<証拠略>)。

原告は、五月一七日整形外科の社医の診断を受けたが、首の動きが不十分であり、次回の診察時まで首のリハビリをするように指示された。同日、松田は、「知識テスト」を行い、また、翌五月一八日にも、B6についての理解度チェックをした。さらに同月二二日、原告に対し、「アナウンスチェック」を行った。その後右テスト等の結果が芳しくなかったとして、同日松田、金子、村上が原告と面談し、「CAとして適正を欠いている。これまで準備時間は十分にあり、その結果がこれであるとすれば、これまで同様ただ頑張りたいとの言葉だけでは原告を信用できない。」「会社は厳しい経営環境にあり、社員一人一人が自らの能力を高めなければならない時期に来ている。ただ頑張りますという言葉だけで、結果が伴わない状況を放置しておくわけにはいかない。」などと述べたが、原告はほとんど無言であった。

五月二四日には松田が同様の話を行い、五月二五日も、原告が体調が悪いと出社しなかったため、金子、村上、小寺が寮に赴き、「(原告の)CAとしての状況をオッケーといえない。」「質問してもほとんど答えない。表情とかみてるとCAにはむいていない」「こういう状態でエマ訓なんかない。東京でエマ訓なんかしてくれる人はいない。」「旅客が全日空から離れていく。そんな人が乗務してたら。」「口で今後やっていきますと言うのは他のCAに対して失礼」「別の道を考えるべき」などと述べ、退職を求めた。これに対し、原告はほとんど答えることなく、ただエマ訓を受けさせてほしいと求めた(<証拠略>)。

五月三一日午前中に整形の社医の診断を受けたが、「首の動きが不十分」と診断され、鍵谷医師から「六月一日以降約三週間の休職加療を要する。」との診断が出て六月一日の復職は延期となった。

同日午後一時半から五時四〇分ころまで、村上、金子、松田、岩木、小寺らが、原告に対し、「普通は辞表を出すものよ。」「組織の外でわがままをいって欲しい。」「部にはとても帰ってくるな。」と述べた(<証拠略>)。

翌六月一日も金子、村上、小寺が寮に原告を尋ねたが原告が不在であったことから、帰宅し、翌六月二日再度寮に右三名が原告を訪ね、午後四時一五分ころから午後七時すぎまで「別の道を考えては。」などと原告に退職をするように述べた。

六月五日も、原告が体調が悪いとしていったん断ったにもかかわらず、加治屋、松田、金子が寮に来て、午後四時から五時四五分ころまで、復帰できると思っていると言う原告に対し、「なにをもっていっているのかわからない。」「現実を飲込む勇気がない。」等と述べて、原告に対し退職を求めた。

六月八日は、原告の実兄に対しても、「客室乗務員をやめていただきたい。会社としては復職は無理というスタンスは変わらない。」「(兄に(ママ)からも)退職するように説得して欲しい」などと述べた(<証拠略>)。

原告は同日、全日空労働組合に、被告会社の退職強要をやめさせ、職場復帰できないか相談をした。

さらに六月九日にも、原告が面談を嫌がっているにもかかわらず、金子、植村主席が寮に来て面談を求め、原告が断ると、原告の後ろを追いかけた。

被告会社は、同年六月一二日になって、突然復職の道を考慮してもよい旨原告に伝えた。

六月一四日、原告が産業医の診断を受けに出社しているのを金子、加治屋が認め、面談をしようとしたが、原告はこれを断って帰宅した。

翌一五日、金子、加治屋が寮を訪れ、原告の症状は「精神的なものではないか。」「カモフラージュではないか。」などと述べたが、原告がほとんど返答せず、また金子らと目線もあわせなかったことから、大声を出したり、注意を向けさせようと机をたたいたりもした。また金子の復帰に向けてのカリキュラムが必要かとの質問に対しては、原告は自分のウィークなところはわかっているので、自分で勉強すると答えた(<証拠略>)。

六月二一日、原告は、神経科を受診し、小寺、松田と面談したが、同人らから「体が大丈夫なのに自分がだめならばやめてしまえ。」と言われた。

六月二六日、産業医立会のもと復帰したいとの意思表示を行ったが、その直後、松田が原告に「(原告は)挙動不審者だ。精神がおかしいのでは。」と言った。

六月二八日、原告の兄に島根県の出雲空港で加治屋他一名が来て会い、「手を尽くした。身を引いてもらいたい。」「復帰訓練は受けれ(ママ)ない。辞めてもらうしかない。」と述べた(<証拠略>)。

(四) 六月三〇日、金子は、原告に対し、復帰者訓練として、七月六日、七月七日エマ訓及びドアトレーナー訓練を受けるように命じ、原告は、七月六日付で復職した。

七月六日、七日、原告は東京で復帰者訓練を受けた。しかしながら、不合格との結果を告げられ、七日訓練から帰阪後、職場事務所において五時四〇分ころから二一時三〇分ころまで、小寺、金子、松田、岩木から「決断するとき」「会社はだまされた」「会社としては完壁でないものは乗せられない」「東京の同期の人は、エマ訓の前日に辞めたよ。」「あれだけエマ訓といってこの結果どうする」「教訓部に部長以下あやまりに行けということか」「ふつうその段階でやめていくもの」「こんな点でよくあんな顔して帰る。」といわれ、これに対し、原告はもう一度訓練を受けさせて欲しいと答えた(<証拠略>)。

七月九日、九時過ぎから一八時三〇分まで面談が続き、早く結論を出すように言われた。一一日、原告は、出社し、レポートの所感を作成したが、途中金子、松田から「結果について結論を出せ。」「社員として失格」といわれ、また小寺から「制服をぬげ。」「これでよく会社に来れるな。」「きみの居場所はない。」といわれた。これに対し原告が何も答えなかったことから「この態度は、懲戒解雇でいいのではないか。」ともいわれた(<証拠略>)。

その後七月一四日、一五日、一七日、一八日、一九日、二〇日、二四日とレポートあるいは反省文(<証拠略>)の作成、訂正に従事したが、その最中にも、金子ら管理職から、原告は「CAとしては無理」「寄生虫みたいだ。」といわれた。

七月二五日から三一日にかけて、原告は緊急、保安とサービス接遇に関し、被告会社から指導を受けたが、いずれもその評価は悪く、ほとんど再指導の必要性があると判定された(<証拠略>)。そして「新入生以下のレベル」「もう限界ですよ」などといわれ、また七月三一日の「アナウンスチェックがだめなら辞表を出すように」とも言われた(<証拠略>)。

原告は、八月一日、二日と東京で二回目の復帰者訓練を受けた。八月二日の午後、原告だけを対象としてフライトシミュレーションのビデオ撮影が行われた。この二回目の訓練も、原告は、不合格とされた。帰阪後の八月二日から以降三日、四日、七日、八日から一一日、一四日から一六日と管理職らとの面談が続き、報告書の作成、書き直しとともに、金子、松田、植村、小寺は、原告に対し、「やめる道を選べないのか」といわれ、八月一六日には「原告が判断しないなら両親の所へいく。」といい、兄を通してくれという原告の希望も聞かずに、八月一七日には、原告の島根の家に出向き、「家族も協力して辞めさせて欲しい。」「使いものな(ママ)らないが二回も復帰訓練を受けさせた。」等と話をした(<証拠略>)。

八月二二日、原告は労働組合に対し、連日の退職強要をやめるようになどと記載したお願いの文書を提出した(<証拠略>)。

九月に入ると、面談のない日もでてくるようになった。九月末上司より今一度復帰訓練をおこなうことになったとの話があり、一〇月二日にはエマ訓の日程連絡が入り、原告は一〇月一九日、二〇日、東京で三回目の訓練を受訓したが不合格となった。右判定に納得のいかなかった原告は、被告会社に対し、訓練結果についての説明を求めたが、なかなか応じてもらえず、一二月七日に至り、被告会社から訓練結果の内容が知らされ、平成八年一月二四日、同年二月二九日付で解雇とする旨の通告を受けた。

(五) 以上の認定によれば、被告会社の金子、松田、小寺、村上、加治屋といった原告の上司にあたる者たちが、平成七年五月二二日以降、九月ころまで、約四か月間にわたり、原告とその復職について、三十数回もの「面談」「話し合い」を行い、その中には約八時間もの長時間にわたるものもあったこと、右「面談」において、金子らは、原告に対し、CAとしての能力がない、別の道があるだろうとか、寄生虫、他のCAの迷惑、とか述べ、原告がほとんど応答しなかったことから、大声を出したり、机をたたいたりした。またこの一連の面談のなかには、原告が断っているにもかかわらず、原告の居住する寮にまで赴き行ったものが何回かあった。また原告の兄や島根県に居住する原告の家族にも直接会って、原告が退職するように説得をしてくれとも述べていた。

かかる原告に対する、被告会社の対応をみるに、その頻度、各面談の時間の長さ、原告に対する言動は、社会通念上許容しうる範囲をこえており、単なる退職勧奨とはいえず、違法な退職強要として不法行為となると言わざるを得ない。

他方、解雇自体については、その効力の有無のほかに特にこれが不法行為として違法となるとまで認めるに足りる証拠はない。

3  争点2(三)について

本件において結局原告は退職をしていないこと、原告は都合の悪いことは沈黙し、煮え切らない態度をとったことが被告会社の担当者の言動を誘発したこと、退職強要を受けていた間弁護士がついていたことなどを考慮すれば、被告会社の退職強要により原告が受けた精神的損害に対する慰謝料としては、五〇万円が相当である。またその弁護士費用としては五万円が相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 川畑公美 裁判官 和田健)

<別紙> 請求金目録

(1)、月例賃金(金給四七万五、一〇九円)

内訳 基本給 金二一万八、九〇九円

役資格手当 金一万円

住宅手当 金七、〇〇〇円

乗務手当保障 金二三万九、二〇〇円

(2)、一時金

平成八年七月 金八三万五、〇二二円

(金四一万五、二三一円は支払い済)

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